遺影(その1)
どこのお宅にも遺影を飾ってあるところは多いと思います。
例えば長男である本家が仏壇を置いてお祀りしているのに、長男以外がそれぞれ自分の所にも仏壇を購入して祀っているケースも少なくないでしょう。
あっちでも、こっちでも祀れば、それは陰祀りということになり、『魂』が支離滅裂になってしまいます。
遺影もまた同じ事が言えます。
仏壇を祀っていなければ良いと思いがちですが、遺影も同じで、小さな額に亡くなった親の写真を入れて飾っていたりするのも陰祀りと同じなのです。
遺影も、もし祀るのであれば、長男の本家以外では祀らない方が良いと知りました。
私も以前、小さな仏壇を購入してお祀りしていました。
勿論そうしたくてしたのではなく、長男が居るのにそんなことをするのはとても恐い感じがして決して本意では無かったのですが、水子供養から始まって成り行き上、断り切れず仏壇を購入することになり、実家の先祖まで祀る事になったのでした。
しかし、「水子供養」自体が良くない事も後に知りました。生まれ変わろうとしているのに、いつまでも供養して封じ込めてしまう。
でも私自身、自分で「水子供養」をお願いしておきながら、心の何処かで非常に後ろめたいものもありました。
水子になるには、水子になるだけの原因があるのでしょう。
単に体質的、物理的な原因ではなく、『魂』、つまり『命の絆の法則』に反してしまったから水子になってしまう。
それなのに自分自身がそこから目を反らし、第三者にお願いして供養してもらい、自分が安心感を得たいと言う、非常に身勝手で傲慢な考え方。
だから、水子供養に限らず、祀れば故人も救われ、自分自身の心も救われると言うのは違うのだろうと思う様になりました。
それよりも、自分の通り方、生き方を正していく事の方が本当の供養になるのでしょう。
何故なら、『魂』は輪廻転生を繰り返し、何度も何度も生まれ変わっていることを忘れてはいけないのでしょう。
『魂』は自分一人のものではなく、法則に従って全てに繋がっており、自分一人の生き方が全てに影響を及ぼしていくからです。
だから、仏壇に向かって手を合わせたり、遺影を祀ったり、お墓に一生懸命お参りしても故人も自分も救われないのでしょう。
それよりも、自分の通り方、生き方を正して行くことによって、故人はまた輪廻転生して良い形で生まれ変わってくれるのだと思います。
もし供養というならば、それが真の供養なのだろうと・・・
続く・・・
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