一服のお茶

 

先日またラジオを聴いていたら、裏千家の千玄室さんがお話をしておられました。
100才になられるとのこと。
 
 
戦時中、大学時代に学徒出陣で招集され、特攻隊にいた時のお話でした。
長男として生まれ、裏千家十五代家元として子供の頃から非常に厳しく育てられたものの、特攻隊として出撃することになり、もう自分の命は無いと覚悟をした千さん。
出征前日に、千さんの父親は千利休が切腹に使った刀を見せ、「不惜身命、但惜身命」と言い、どんな時も命を大事にせよ、しかし捨てる時は捨てなければいけないと。そして千さんは出征していった。
 
 
たまたま、同じ特攻隊の仲間で一番仲の良かった人がいて、それが後のあの水戸黄門のドラマで有名な西村晃さんだった。
 
 
お互いに励まし合いながら、最期を覚悟をし、皆心の中では遠い故郷の母を思い、お母さんに会いたい、お母さ~んと言って散っていく。
 
 
こうして皆仲間の人達は次々と飛び立っていく中、千さんも自分の出番を待っていた。ところが、何故か千さん一人だけが突然待機命令が出て、予科練の教官になる事になり、特攻隊として飛ぶことは無くなったのでした。自分だけが飛ばないのは他の仲間に申し訳ないと言って断わったものの、命令である以上断る事は出来ず、一番の親友だった西村晃さんとも、お互いに任務を全うする事を誓いあったけれど、千さんだけは特攻隊として出撃することはなかった。
 
 
そんな中、西村晃さんは奄美大島から飛び立ったそうです。

ところが、飛び立った直後突然エンジンの不調で不時着し、負傷する事も無く命を落とすことも無く終戦となった。

 

 

そして、お互いに故国に帰り、ある時、千さんは東京に用事があって出掛けた時、ちょうどメーデーの時で労働者の旗をふった列が前を通って行った。その時、その行列の中から誰かが自分を呼ぶ声がし、自分は労働組合とは何の関係もないのに一体誰が呼んでいるのだろうと思ったら、偶然にもそれが特攻隊で一番仲の良かった西村晃さんだった。お互い生きて帰って来たことをその時初めて知り、抱き合って泣き、千さんも西村さんと一緒に演劇労働組合の旗をもって行進した。

 

 

仲間の中で、命を落とさず生きて帰ったのは千さんと西村さんの二人だけだったそうです。

 

 

皆若くして、夢も希望も一杯あったでしょうけれど、お国のためと言って命をささげ、無念にも志半ばで亡くなっていった。その人達の犠牲があって初めて今こうして戦争のない平和な世の中があるのでしょう。

 

 

戦争から帰り戦後になり、進駐軍があちこちにいた。それを見て「この野郎!!」と千さんは思ったそうですが、それでも千さんのお父様は、日本の文化を知りたいと言ってやって来る敵であった進駐軍に対しても、区別も差別も無く、同じように一服のお茶をお出しすると、ついこの間までは敵であった人達が自分達の前で正座をしてお茶を頂いている姿を見て、日本はには負けたけれど、には勝った。これからはで行こうと思ったと。

 

 

400数名もいる中でたった二人だけが生き残り、これもきっと意味があるのかもしれません。そしてお二人の御縁と言うものもとても強く不思議なものなのでしょう。

 

 

千さんも西村さんも、こうして自分達だけが生きて帰った以上、その恩を多くの人々に返していきたいと思われた。それが生きて帰った自分の使命だと。

 

 

そして西村さんは、俳優として水戸黄門となり国の平和の為に全国行脚し、人の心を癒し、励まし、千さんは今迄に70か国以上をまわって、お茶の素晴らしさを世界中の人達に伝える事で世界平和を願って回っている。

 

 

お茶は決してただ、たてて飲むだけのモノではなく、

「いかがですか」「お先にどうぞ」という、お互いに許し合い、お互いに思い合う精神を教えるものが茶道なのだと。

 

 

この一服のお茶によって、世界中の平和を願って回る事で必ずその思いは伝わる筈だと信じ、非常に地味な活動ではあるけれど、戦後ずっと世界中を回り続け、それが生き残って生かされた自分の使命なんだと今も命ある限りその思いを持ち続けておられる千さんのお話でした。

 

 

今世界中で起こっている天変地異も、千さんの様に、きっと私達に何かを訴えているのでしょう。

 
 

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