檀家もなく
葬儀もしないお坊さん
(その3)
こうして体操教室を始め、興味を持った人たちが徐々に増えていき、感覚的には『仏教同好会』と言う様な感覚だったと。
しかし、こういう『仏教同好会』と言う概念とは真逆に、ビジネスの視点が強く入ってくると、一般市民は真の仏教から離れて行ってしまう。そう言う中で「宗教を生活の糧にしてはいけない」という思いが強くなっていった。
仏教や宗教は、自分の人生を考える上でとても大切で、先達たちが沢山の年月をかけて悩み、解決したことが説かれており、とても貴重なものだけれど、そこに商売が絡むと、本来の仏教や宗教から違う方向へと向かってしまう。多くの一般市民は仏教の研究者の話は受け入れるものの、寺の僧侶の話を余り聞きたがらない。実際に現代ではお寺は葬式や法要や先祖供養をするところと言うイメージはあっても、昔の様にお寺の住職様がお話をされることは余りないかもしれません。
そんな中で、このお坊さんはこんなことを仰います。
「僧侶は自分ならではの現場を持つ事が重要」だと。
「自分ならではの現場を持っていないと、話す内容が空虚なものになってしまう。」
常に現場の人であり続けないと、机上の論理に終わってしまうということなのでしょう。
理屈ではなく、実際の自分の様々な経験や体験があってこそ、模索し、考え、葛藤したりしていく中で、初めてその中から色んなモノが見て来て、それが血となり肉となり、自分の財産となっていくのだと思います。
例えば、このお坊さんの場合は鍼灸治療と体操、それが仏教と融合して、自分の居るべき現場で活動している。
子供の頃から難治性の喘息に非常に苦しめられ、自分のそう言う境遇、そう言う体験があったからこそ、それがたまたまこうして仏教と融合し、独自の運動療法を編み出し、檀家のない寺の住職となり、生来の難治性ぜんぞくを克服し完治させ、市民の人達を導いている。執筆活動や講演、そしてEテレの宗教の番組でも紹介されたこともあるようです。私も以前はこの番組をよく見ていたのですが、今はテレビのない生活をしているため見られません。見たかったなぁ~(#^.^#)。
お寺と社会の関係がこれからの時代見直されていったら素晴らしいでしょう。
このご住職さんは仰います。
「かつて仏教は、命との付き合い方とマナーを教える宗教でした。自分や他人の命、動植物の命が何を欲しているのか、何をすべきなのか、と言うことを深く解説する教えでした。しかし、仏教が過去の文化財になってしまった今、私たちは自分の病気が、何を訴えているのか、という反省などほどんどしません。私たちはただ、苦しい症状を消し去るためだけに病院に通います。病院の待合室は人であふれ、あたかも現世利益のお寺です。病院通いは、ちょうど、かつての寺参りのようです。保険が完備し、お賽銭程度の出費で事が済みますから好都合です・・・」
おりこうなワンちゃん達、モモちゃんや、チャコちゃんは、ちゃんと知っている。
命とは何か、どう生きて行けば良いかを。
これからの世の中、こういう人が一人でも増えて行ったら素晴らしいでしょう。
それは大変な事ではあるけれど・・・
勿論、Sさんも・・・
朝つゆの花アキコ
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