内に求めるか、外に求めるか

(その2)

 

昨日たまたまラジオを聴いていたら、ある映画監督の人がこんな話をしておられました。

この方は、ある宗教団体の映画を作られた人ですが、その映画を作成するに当たり、取材を重ねるうちに色々疑問が湧いてきたと言う事でした。

 

 

信者の人達を取材していると、一人ひとり、どの人も皆誠実で純粋で真面目に生きようとしている善良な人達ばかり。それなのに何故その人達があんな残虐な事件を起こしてしまうのだろうと?

 

 

そこで見えてきたのが、一人ひとり一個人の場合は、どの人も純粋に誠実に一生懸命生きようとしているけれど、強いリーダーの元、集団になってしまうと人の心や、物の捉え方、考え方、モノの見方が変わってしまうことに気付いたと。自分の内にある大切な何かが置き去りにされ、自分を見失ってしまうのでしょう。

 

 

この監督さん自身も、監督になる前はテレビの番組作成の仕事をしており、集団に属していた。常に集団としての自分だった。

しかし集団を離れ、一個人として活動し始めたら、今までとは見える景色が違い、色んな物が見えてくるようになったと。

 

 

集団がいけないと言うことではないけれど、たとえ集団に属していても、自分と言うものを大切にしないと何かを見失ってしまうと言うことなのでしょう。

 

 

この監督さんが言っておられました。

主語を『個』にすると、モノの見方、捉え方がまるで違ってくる。

そこには今迄見えなかった色んなものが見えてくる。

 

 

結局この監督さんが言われている事と言うのは、

自分の『外』に向かって何かを求めていくか、

或いは、自分の『内』に求めるか。

主語を自分ではなく不特定多数の『集団』にするか、自分と言う『個』にするか。

 

 

 

自分の外に向かって何かを求めるのではなく、

常に自分の『内なる神』を大切に生きていくことの尊さを言っておられるのでしょう。

 

 

つまり、

自分に感謝、自分にありがとう

ということなのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

朝つゆの花アキコ

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