『朝のあかり』

 

 

 

 石垣りんさん

4歳のときに実母死去。

高等小学校を卒業して、丸の内の日本興業銀行に、事務見習いとして入校したのが14歳。

太平洋戦争が始まったとき、21歳。。疎開はせずに銀行で働き続け、25歳で終戦。

生家(祖父、父、義母(4人め)、弟2人)家計を一人で支えながら、働き続けながら詩作。

50歳のときに、手に入れた川辺の1DKで、はじめての1人時間。

55歳退職。

 

銀行員として、その銀行の職場新聞に載った投稿『銀行員の詩集』が詩壇の人の目にもとまって、詩を書く道が広がっていったそうです。

 

「表札」「私の前にある鍋と燃える火と」などの作品で知られる詩人の凛とした圧倒的な生き方そのもののエッセイ。

 

また戦前、戦中、戦後、生活ってこんなだったんだ〜と知らないこともいろいろありました。

はじめての月給が18円、

身分制度がはっきりしていて男女差当然。

 

「手仕事」と聞いて出てくるのは「ツギ」。靴下のツギ、下着のツギ、洋服のツギ。洗い張り、着物の縫い直し、、、食糧難による買い出しや料理以前の工夫、具の少ない雑炊の量をどうやって増やすか・・・洗濯機が夢の時代。

 

 

石垣りんさんの方が年齢は上ですし、母は専業主婦でしたが、母もこのような大変な時代に生きてきたたのだなあ〜と思いながら読みました。

 

***なんちゃって短歌***

 

エッセイに

見え隠れする

若かりし

亡母の生活

思いながら読む

 



通勤の道すがら、丸の内の舗道で並木の一本にさわることを「朝の挨拶」と、自分で呼んだりしてたという。

そんな「朝の挨拶」いいなあ〜と思った。


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いっせいに

咲きほこってる

見て見てと

こぼれんばかりに

溢れんばかりに