工藤直子さんの童話集
「おいで、もんしろ蝶」を読んでいたら、
その中に
絵本「ちいさなはくさい」のおはなしが、はいっていたこと。
あとがきに、小川未明さんの「金の輪」のおはなしが出てきたことを昨日アップしました。
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続きです。
工藤直子さんの童話集「おいで、もんしろ蝶」の
あとがきより抜粋(多いです)
『五、六歳のころに、読んだあと、おなかの中が、からん、とカラッポ
になったような、からだごと、くるん、となにかに包まれて、どこかにつれていかれてしまったような、きみょうな気持ちになるおはなしに出会いました。
小川未明というひとの書いた「金の輪」という、みじかいはなしです。
・・・・・・・・(おはなしの要約あり)・・・・・・・・
ちいさかったわたしは、そのはなしの、どの部分がよかった、とか、おもしろかった、とか、いうことはできませんでした。いや、おもしろいとか楽しいとか、悲しいとか・・・・そんな気持ちではなかったような気がします。
ただただ、あの、おなかのあたりが、みょうにカラッポになる感じが、わたしをひきつけて、それこそもう、くりかえしくりかえし読み、そのたびに、少年のまわす金の輪のひかりが、りんりんと、わたしの中で響くのでした。
どうもそれくらい、わたしの中で、金の輪のふれあう音が響き続けているような気がします。
おとなになっていく、というのは、そのぶん、子どものころが消えていくことでしょうか・・・・・・どうも、そんな気がしないのです。
ほら、うずまきもようのビー玉って、あるでしょう?いろんな色が、川のながれのように重なりあって、くねくねとシマシマをつくり、まんまるい一粒の玉になっている。玉の表面に、いろんな色が、あらわれたり消えたりしている・・・・・もしかすると「こころ」もそんなふうに、いろんな時代の色をくわえてまぜながら、ゆっくりとまわっているんじゃないかな、なんて、そんなふうに思えたりもする。ーーー赤ちゃん時代の色、木のぼえい、かけっこ、そして初恋のこころの色・・・・・なんてね。
まいにちまいにち、まい年まい年・・・・・ひとしずくずつ色をくわえながらまわる「こころ」を、こうやって何十年も抱(いだ)いていると、その奥でほうで、響きつづけている何かがある。近づいたり、遠ざかったりするけれど、りんりんと、そぎれることがない。そしてそれは、あの小さかった日々に読んだ「金の輪」の響きに、さそい出されて鳴りつづけている音じゃないかと思われてならないのです。(特に感銘を受けた箇所、太字)
つづく・・・
心を、ビー玉にたとえて、赤ちゃん時代から今までずっと抱いていてる色であり、響きつづけている音だと、表現される工藤直子さんのことばにうっとり。
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そして
「金の輪」のおはなしを読みました。
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読んだあと、「えええ~~~!」のあと、しばし呆然!
おはなしの筋を知らないで読んだら、
もっとビックリしたと思う。
そういうこと?
でもそういうことって、どういうこと?
金の輪をもってあらわれた少年は
天使だったの???
(読まれた方いらっしゃれば、感想をお聞かせ下さい)
でも、このおはなしを
五、六歳のころの工藤直子さんが、
くりかえしくりかえし読んだことにも本当にビックリ!!
五、六歳から大人になってもなお
金の輪の音色が響いているってどんな?
工藤直子さんは、すごい!
感受性の塊!!
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そういえば・・・
わたしずいぶん前にこの本、二冊読んでいた。
春にまた読みたいと思っていながら、再読していないけど、
ものすごくよかった~という、しあわせにしてもらった記憶があります。これも童話?童話と児童書のくくりがよくわかっていない。ひと昔前の方が書かれたおはなしのことを勝手に「童話」と捉えていました。
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