今日の金曜ロードショーがもののけ姫ということで過去の記事を再投稿します♡

ご存知の方もいると思いますが、もののけ姫のキャッチコピーは「生きろ」です。宮崎駿がどの作品でも共通して伝えたいことはとにかくこの、「生きろ」なんだなっていうのはずっと思っていたことでした。

でも、じゃあ、生きるってなに?ってなりませんか。いやいや、私、死んでないし。そんなこと言われなくても生きてるよ。死のうとなんて思ってないよ。ってずっと思ってたんです。

でも、この前もののけ姫を見返して突然、宮崎駿の言いたい生きるって、こういうことなのかな?って少し分かった気がしたんです。これにも感謝が切っても切り離せないものだったので、是非共有させてください。

もののけ姫のキーポイントであるシシ神は命を与えもし、奪いもする神でした。

シシ神は対象が生に向かっている時は命を与え、対象が死に向かっている時は命を吸い取る神だということに気が付いたんです。シシ神には感情は一切ありません。ただ法則に従って命を分配しているだけの存在です。(これだけでも気付いたとき衝撃でした)


では、どういう時に生に向かっていると言えるのかというと、これは周りに与える側の存在になれている時。

そして、どういう時に死に向かっていると言えるのか、これは周りから奪う側の存在になっている時です。

与えることは愛、奪うのは欲求や憎しみだとも言えるとおもいます。


何に対しても言えることですが、例えば恋愛でいうとお互いが与え合う恋愛は長く続き、お互い奪い合えば別れはあっという間に訪れます。与え合えばその恋愛は生き、奪い合えば死ぬのです。

つまり奪うことで生まれることなど何もない。与えるからこそ私達は新しい価値を生み出すことができ、与えるからこそ輝きながら生きていくことができます。奪うだけの人生があるとしたら、それはもはや生きているとは言えないかもしれません。だから映画の中で憎しみと恐怖に囚われた者はいとも簡単にタタリ神になります。逆に死を間近にしていても生に向かっているアシタカやモロはタタリ神には決してなりません。


ここで、重要なことは、与えるという行為には周りの存在が必ず必要になるということです。いくら与えたくても相手がいなければ、与えることはできない。

つまり、周りに与える対象(人や自然)があるからこそ私達は生きていられるのです。だから私達は一人では生きられないんです。

もちろん相手がいなければ奪うこともできませんよね。つまり相手がいなければ生も死も存在しないので、そんな状態を命とは呼べません。(ちなみに相手というのは人間には限りません)


そして輝きながら生きている人ほど、それが周りの受け取ってくれる人たちのお陰なんだと感謝する必要があります。(その分、受け取ってもらっているということなので。)

もちろん、生きている以上は与えるだけでなく、奪ったり受け取ったりしていくことも必要です。生きているだけで、私達はいつの間にか色んなものを奪ってしまうものですよね。何も奪わずに生きていくことができる人はいません。

だからこそ、心の在り方として
・与える側でいることを常に意識すること。
・受け取ってくれる人がいることに深く感謝すること。
・与えてくれる人がいることにも感謝すること
これらがとても重要です。

これが出来てはじめて私達は本当の意味で生きていると言えるのではないでしょうか。これをふまえた上で、宮崎駿はただ生きてるだけじゃなくて、本当の意味で生きろ!!って言ってるんじゃないかなと思いました。

でも、私達は実は生きてるだけで自然と生に向かうこともできるんだとおもいます。だから、生きてりゃなんとかなる!というセリフもすごいですよね。もし、ただ屍のようにしか生きられないとしても、それでも生きてさえいれば、生に傾くようにもできている。それくらい人間は強く美しい生き物なんだということも言われた気がしました。

(宮崎駿がいいたいことは、とにかくまず、死ぬな。そして生きろ。できたら輝いて生きろなんだろうと思いました)

なんだか、まだ自分の中でも整理でききってないのですが、とにかくもののけ姫、本当に見返してよかった。もっと文章力があれば…と思って悔しいのですが、今日はこの辺にしておきます。あと、もののけ姫の世界を完璧に理解することなど私ごときには到底できません。私なりの解釈ですのでご容赦ください。笑


今日も、ありがとうございました!!