心が大きくブサイクである。

治らない。

だから、被害妄想があるのである。

心がイケメンであれば、他人を少しは信じられるだろうし、

自信も付けられたかもしれない。

疑っていたが、3つ子の魂100までは、本当かもしれない。

自分の場合は、外見が吐き気を催すほどブサイク+被害妄想という厄介な技を食らっているため、

なかなか生きるのが難しいのである。

だからこそ、弱者救済措置である法律に経済的に助けられており、有り難いのだが、

税金を納めている一般人には申し訳があまり立たないのである。

なぜあまりなのか?

それは、一般人が自分を貶し貶めあざ笑うからである。

そのストレスの代償としては、あまりに安すぎる。

もっと貰ってもいいくらいだ。

吉本に行くこともたまに考えるが、

トーク力もなく、先ほどあざ笑われると書いたが、吉本的に笑えない顔面なので自粛している。

エレファントマンよりはマシなので、そこは感謝しているかもしれない。

親から本気か冗談かわからないが孫の話題が出ることもあるが、こんな顔では無理だ。

今までずっと顔の責任にして生きてきた。

それだけ顔はこの世で重要視される。

この価値観はもう揺らがない。

治せという方が無理だ。

心より顔だ。

それが現実だ。

視覚障がい者になら心を許せるだろう。

外見関係ないからな。

世を恨んでいる。

 

こういう考えを持っているのが、醜形恐怖症、の一例だろう。

自分なのだが。

中には褒めてくれるひともいるが、信じられない。

でも、ブサイクに言えることだけはある。

ブサイクを隠すな。

それだけだ。

隠せば隠そうとするほど辛い思いをすることになる。

顔だけで判断しないひとも存在する。

俺は、するが。

ブサイクは、応援するが。

アインシュタインの稲ちゃんなんか、アゴが出てるだけでぜんぜんブサイクだとは思わないけどね。(アインシュタインの稲ちゃん、営業妨害すみません)

心のブサイクも隠さないことにしたんだ。

だから、楽になれる。

俺は、面食いで、嫉妬するし、イケメンがうらやましいし、顔を理由に人生捨てて(6、7歳くらいのころから)不良で親にも友達にも迷惑かけたし、後悔することもあった。

後悔することの方が多かった。

正直言って苦しい。

やるんじゃなかったと思っている。

でも、心を入れ替えて恥ずかしいけど親孝行とかゴミ拾いとかできる善行をしていったら、一過性的だけど楽になるんだ。

対処療法だけど、それを繰り返すことが今の自分の罪の償いだと思っている。

いつかは本当の安心にたどり着けると思っている。

こういうブログも、なんか役に立てたら良いなと思ってやっている。

基本的にサービス精神旺盛だからな。

 

 

う~ん、見返してみたけど、あまりまとまってないな。でも、この辺で締める。

読んでくれた方、ありがとう。