私がいなければ、とみんな言います。

子供の頃から、何て人達だと思いますが、敢えてから、本心から、みんなそう言います。

私がいることを悪のように言います。

今までに5人には言われたと思います。

どういう人達でしょう…

「私がいるから体調が悪い時に家に泊まれない」と言っていた人もいます。

勝手に泊まるつもりでいました。

私はその人を心配して、「私が体調が良ければ家に来るとか出来たけど」と言いましたが、相手は「私がいるから…」と言いました。

言っていることが真逆です。

私はその人のことを気遣い、相手は自分のことだけを考えます。

家の改装をしていてストレスが掛かっていたようで、家族が深夜看病に行ってそう言いました。

家族が入院をしたら、私が歩けるから自分ですればいいと悪口を言っていたそうです。

なので、自分で人のこともしていますが、ずっと、みんなから悪口を言われています。

私が食事をすることは良くないようです。

食材を買うとラインで幾ら使ったと言われました。

自分のお金で買いましたが、全てを否定されます。

何をしても寝ていた遊んでいると言われますが、私は、一度も遊んでいません。

ずっと眠ってもいませんでした。

飲まず食わずで深夜までタダ働きでみんなが旅行に行っていても花の水やりや他人の掃除や料理や全てしました。

私は、要らないと言われますが、私には私が絶対的に必要です。

私以外に私はいません。

私は、他人にそんなことは言いません。

あまりにも酷く言われたら言い返します。

それは、自業自得です。

「あなたも同じことを言われたら嫌でしょ?」と言います。

子供にも「生まれてきてくれてありがとう」と思います。

伝えられなかったので、手紙(カード)を書きたいのです。

人生は、自己満足です。

「要らない」と言われたら、「私もあなたは要らないわ」と心の中で言います。

そんなに心が荒んでいては周りの人が不幸になります。

私は、どんな人も分け隔てなく、助けましたが、みんな知らないと言います。

私程、都合の良い人はいなかったので、みんな利用したのでしょうね…

そんな人しかいないことが負の財産ですが、言葉はその人そのものです。

心が透けて見えています。

私の可愛い子供を貶すことは許しません。

世界は、子供を助けることすら出来ていません。

どうしてこんなあり様になってしまっているのかと思います。

人が安心していられる場所がないじゃないですか?

何の為に人はいつも排他的で不幸の選択ばかりしているのでしょうか?

守るべきものを見失っているように見えます。

自己保身や何の罪もない人を傷つけて苦しめて何かあるのでしょうか?

人はいつまで間違い続けて当たり前のことに気づけないのかと思います。

マイノリティもマイノリティだから辛いのではなく、マイノリティを排除してしまう人や世界が問題なのです。

問題はマイノリティだからではないのです。

マイノリティを認められない社会の器の小ささなのです。

アイデンティティーなんて言われて長らく経ちますが、アイデンティティーこそが自己であり、マイノリティそのものなのです。

みんな元々違うのですから、同じである必要は初めからないのです。