最後の言葉は、


『Attendre et esp・rer!』

待て、しかして希望せよ!


でした。

何かで残っていました。


『岩窟王』の有名な台詞です。

ドラマ『モンテ・クリスト伯』でも登場した言葉です。

私は、待つことも希望もあまり好きではありませんが、この言葉はこの言葉として音がいいので残ります。

過酷な場所で、待てとか希望とか言われてもそんなどころの苦しみではないと思います。

それでもどうすることも出来ない時にこういう言葉が出るのかもしれません。

実際に自分が感じたことや思ったことが全てです。

希望程嫌なこともあります。

どこに希望があるんだ

どこで待つと言うのか

という声が聴こえます。

(実際には聞こえませんが、比喩です。)


私も同じことを思うと思います。

余計な感情を持たないことが楽だと思いますが、ないと困るのが希望というヤツです。

どこかに希望を置いておけば誰かが助かります。

外から救わないといけないこともあります。

希望は、内側の心の支えとなり、外側の助けとなり、人を救います。

希望は作るものです。

たくさんの希望を作って人を救うべしです。


心無い社会や人に無自覚に苦しめられていますが、体調が良くないので、もう限界です。

人の嫌な言葉やネガティブさや身勝手さや被害者意識の強さや柔軟性のなさや口の軽さや過剰な表現や全てにうんざりしました。

自分達が迷惑を被っていると配慮のない言葉ばかりですが、被害を被っているのはいつもこちら側です。

人はいつも身勝手な自分の感情にばかり囚われています。

こちらは、救急病院でしんどくてもナース同士が喧嘩を始めても穏やかに対応をしましたが、私が必要なことを問い合わせると業務に支障が出ると他人一瞬で電話をして伝えることに疑問を感じます。

そういう配慮のない、無神経な言動が問題を引き起こしています。

電話対応も業務の一貫です。

対応を検討したり、柔軟に対応することは可能かと思います。

家族が患者の現状を確認出来ないこともおかしいと思います。

一人にしか教えないと又聞きになったり正確に伝わらないことがあるので、確認した方が早いので、問い合わせをしています。

一人だけだといざという時に間に合いません。

身元が分かっていて了承を得た人には確認ができるようにしてほしいと思います。

喧嘩をしたり、医療過誤を起こして隠蔽をしていて、被害者意識の強い表現をすることに更なる不信感を感じます。

一見、正しい風なことをいう人程良くない場合があります。

私達には知る権利があります。

赤の他人には何でもぺらぺら喋るのに私には何にも言わない人もいます。

私のプライバシーは全く守られていません。

対等でない関係は私は好みません。

カスハラ問題もしつこいですが、ちゃんと窓口を設けて対応できる人を置いている方が安心です。

警察、裁判、とすぐに言う人に良い人はいません。

その前段階の対応が必ず必要です。

過剰な対応をする必要はありません。

先ずは、きちんと対応すればいいのです。

嫌がらせや趣味でしている人は別ですが、対応しないことは問題があると思います。

問題を放置するから更なる問題が起きているのです。

問題の種は小さな内に対応することが大事です。

良い対応をする場所では問題はほぼ起きていません。

ちゃんと対応できない場所では店員が客に嫌なことを言ったり、問題が起きたり裁判をしていました。

全ては気持ちと対応の問題です。

怒る人はどちら側にもいます。

片側だけでは問題は改善しません。