今朝、NHKで放送された 
目撃!にっぽん という番組を

夫と見ていました。

和歌山の限界集落のシェアハウス で暮らすニートの方々の

生活を紹介する番組でした。番組を見ている間は

 

「こういう自然の中、心にも体にもゆとりもった生活が

 人間らしい生活って言うのかなぁ〜?」

 

なんて思いながら見ていたのですが、時間が経つにつれ

 

「とは言え、彼らのアルバイトの元となる仕事を

 普段から生業にしている方々がいるからこそ、

 このような生活が成り立っているのでは?」

 

とも思ったりして・・・複雑です。



限界集落に若い人たちが集まってくること自体

すごくいいことだと思いますし

(勿論、以前から集落に暮らしている方々にご迷惑がかかるような輩は別ですよ?)

若い人たちが先住のお年寄りと交流しながら

生活の知恵や集落での生活の仕方・仕事のやり方を

教わったりすることもとてもいいことだと思います。

この在り方は間違いではないと思いますし、

こういう取り組みが日本の限界集落のあちらこちらで

目にすることができるようになったらいいなとも思います。

 

 

でもどこかでモヤモヤ・イライラします。

 

「どこがモヤモヤ・イライラの原因なんだろう?」

と考えた時、紹介文の中にあった一文

 

最低限の仕事

 

という部分にモヤモヤ・イライラしていることに

気付きました。

 

最低限の仕事ってなんだ?
どこで線引きするんだ?

 

最低限の仕事・・・ではなく

その時にできる精一杯の仕事 と書かれていたら

私の受け取り方も違っていたかもしれません。

 

でも、しばらく色々考えているうちに

以下のような考えも私の中に湧いてきました。

 

もしかすると、あそこに居る人たちは

放っておくと際限なく頑張ってしまう人たちなのかも?

要領が悪くて 大丈夫 と 大丈夫じゃない の線引きができず

大丈夫じゃないのに頑張ってしまった結果

自身を壊してしまった真面目で頑張り屋な方々なのかも?

 

だからこその

 

最低限の仕事

 

という表現の仕方だったのかもしれないな、と。

 

そういうことを色々あれこれ考えながら

過ごしたゴールデンウィーク・日曜日の朝でした。

 

 

ここで一句。

 

黄金週

主婦にも休み

くれたまへ

(まぁ、我が家の場合は夫も休みじゃないんですけどね!)

 

主婦はたとえ体調悪くても熱があっても

炊事・洗濯・掃除・犬の散歩に行くんだよ。

(ちなみにコロナ禍において熱が出たことは一度もありませんが。)
特に食欲なくてもご飯作らないといけないんだよ。

だからね、だからさ、

「今日、なにが食べたい?」と聞かれた時

 

なんでもいい

 

とか言うな!言ってくれるな!
なんでもいいわけないくせにっ!
むかっ

 

世の旦那さん、役所広司さんみたいに

チャチャっと作ってくれてもいいんだぜ?
(ウチは夫が絶対ラーメン食べないから・・・豆腐麺でいいから♪

 あ、ウチは夫も休みなしだから・・・いいです、私が作ります。あせる

 

 

 

 

 

というわけで、皆様、良い日曜日を!(*´꒳`*)ノ"