鹿児島市の座禅石を訪れました。
西郷さんはこの石に座って座禅を組んでいたんですね?
でも思っていたより小さかった・・・。( ´ㅂ`;A)
座禅石に座るとちょうど正面に
護国神社裏の小山⇧が見えます。
座禅石がある城山は西郷さんに縁深い場所。
また近いうちに訪れてみたいと思います。
実は西郷隆盛さんにはすごく興味がありまして。
40年以上前になりますか、親戚で鹿児島を訪れた時に
たぶん城山を訪れたことがあると思うのですが
小学生だった私はどうにも眠たくて体が動かなくて
バスの中で寝たまま外に出なかった記憶があります。
「城山・西郷さん」というキーワードだけが頭に残り、
けれど体は動かない・・・という。
ですから、私にとって城山は
「行かなければならない場所」の一つでした。
それから、西郷さんの親しかった方々の話をまとめた
この本⇩の感想を書かれたブログで抜粋部分を読んでいたら
映像や文学作品に登場する西郷は、肥大な体格のイメージが強すぎるためか、細事に囚われない、豪放磊落で、茫洋とした、いかにも大人物風である。だが、西郷と日常的に接した関係者の多くが指摘する彼の実像は、何事においても論理的に物事を考えようとする理詰めの人間であった。また、謹厳・実直・生真面目で、融通がきかない『堅物』であった。
西郷は、物欲が強く、人間性の卑しい人物をひどく嫌悪する、人の好き嫌いが大変激しい人物であった。また一度でも自分を裏切った人間は生涯にわたって許さない(容れない)人物であった。当然、『清濁併せ呑む』といったタイプではなかった。いや、むしろ対人関係においては極度の潔癖症といってもよい性分の持ち主だった。したがって、敵と味方を厳しく峻別し、敵と見なした者を激しく憎むことになった。そういう点では、彼は度量が大きい人物では到底なかった。そして、西郷はこうした性分もあって、相手とうまく妥協することができなかった。つまり、ギブアンドテイクをなしえない不器用な人物であった。そのため、島津久光らとの対立を深め、それが結局、彼の歩もうとした人生のコースを大きく歪めていくことになる
(1行目は恐らく「物欲が強い人や人間性の卑しい人物をひどく嫌悪する」という意味かと。)
と書かれておりまして、
「これはもう、私の夫のことじゃね?!」
って思うぐらい夫と性格が似ておりまして。( ´ㅂ`;A)
私が思い描いていた西郷さん像はもっとこう
おおらかで人から好かれる明るいお人、
という印象だったのですが・・・全然違ってた!
(独り言)
こういうタイプと暮らすのって結構大変だよね?
フォローばかりの人生になっちゃうよね?
糸さんのご苦労、ちょっとばかりわかるわ・・・。( ´ㅂ`; )
人間としては決して嫌いじゃない。
だけど似たタイプがすぐそばにいるのでよくわかる
「真面目で馬鹿正直だからこその生き辛さ」。
本当はみんながそんなタイプだったら
騙したり騙されたりはないだろうになぁ〜
としみじみ思う私でした。