いつもは「家」のことを書いていますが、今はコロナウイルスで自宅待機を余儀なくされている人の、少しでも時間つぶしになればと思って書いています…期間中「経済」は停滞し社会的な不安に希望も曇ります…
そんな時だからこそ未来への希望も考えてください…これも「遊び」なのかも知れません…
サンフランシスコのコテージハウスです…
とんがり屋根で丸い塔の造りがお城を連想させます…
壁は漆喰で荒く仕上げてあり、ここでも屋根はシーダーを葺いて中世風を強調しています…
現代的なシャッターのガレージと併用しています…いわば都会風かな?
「家」にはどんなことでも「思い出」があります…
子供なら、それは一緒に成長した家族の音だったり、匂いだったり、時々の顔だったり…
いろんな形の記憶で満たされます…
ある時ははちらっと垣間見た家族の違う顔…いちばん慕った父や母、祖父母のフトコロの匂いや手に残る感触…それらのすべてが、いわば成長の記憶として心に刻まれています…
家族に初めて出会った時の「びっくり」と、やがて別れなくてはいけない時の喪失感…
その間で振り子のように揺れる心で感じたすべて、が子供にとっては大人になる記憶です…
「家」もまたそのすべてを「記憶」しています…
子供だった頃に怖かった天井の模様や揺れる影、廊下や階段の奥の暗がりが子供を不安がらせます…
一方で大好きな父や母、祖父母の笑顔の安心感…子供には「家」の中に潜む光と闇がはっきり見えています…「トトロの森」の「真っ黒クロスケ」は子供だから見える「家」に住む妖怪なのです…
研究では子供たちが小さな身を隠す「隙間」を喜ぶことが報告され、実際に幼稚園のあちこちにこの小さな、それこそ子供が身を隠す程度の隙間=窪みが必要であると報告されています…
ここでは、例えば親のようにはっきり味方と思えるものに守られる安心感…それをここでは「家」が与えます…
一方で日常の中で、子供の頃に大好きで心が落ち着けた場所…
窓から見えた景色、なんとなくカビ臭く薄暗い、だけど心が落ち着けるところ…
そんなところで子供は本を読み、想像力を膨らませ…時々はキラキラと大きく息を吸い、またため息もつきます…子供だけがわかる秘密の場所です…
そのほとんどが大人には当たり前の風景です…
今は天井の模様や影がなくなり、片隅では一晩中チカチカと電気が無表情に点滅します…カーテン越しには街の明かりが入り込み…大人がいない闇=恐れも子供たちの世界には訪れません…
これなども機能だけを考える設計の、中に潜むいわば「遊び」の空間なのですが…
古来日本ではこの「遊び」が重要視され、色々な文化に様々な空間を生み、あるいはそのものが顔を出します…言ってみれば心の余裕・逃げどころともいうべきものが「遊び」だったのかもしれません…
翻って今は土地が少ないせいか「家」に遊びがありません…あるいは遊びを忘れた大人目線の設計者や建主たちには今では見えなくなった目線=視点なのかもしれません…
当然ですが、子供の目線=視線と、大人のそれでは違います…
大人には当たり前の本棚や家具の高さや大きさは子供にはもっと大きく見えます…
あなたもちょっと背伸びして視線を上げると周りの景色が違って見えるのに似ています…
「おかしいなぁ、この道はもっと大きかったはずで、公園だってもっと広かった」
そう、子供の頃の記憶と大人になっての記憶は違います…いつの間にか記憶は拡大し、その分事実は縮小します…
あのドラゴンを退治して、あの高い塔から救ってくれた騎士こそ…私の一生の方…なんてね♬
親の口が紡ぐベッドサイドの物語…心のずっと奥に沈殿する物語…
子供は記憶しています…「シェラザード」の物語が繰りかえされます…
そんな事実に出会うと、文字どおり身も心も「トキメキ」「ワクワク」します…
「トキメキ」は「ワクワク感」と言ってもいいでしょう…
この二つは時にあなたの心をざわつかせ、折々に古い記憶を呼び覚まします…景色だけでなく匂いや感触までが心をよぎります…
あんなに夢中になりそれこそ運命の人と思った人…今はどこでどうしているのだろう…そんな想いにふっと駆られます…
この「トキメキ」「ワクワク感」の多さに「若さ」があるという研究があります…
「トキメキ」や「ワクワク」とはそんな想いの結晶化かもしれません…
子供にとって「家」と「家族」のトキメキが消えることがありません…父母や祖母や祖父兄や弟、姉や妹の音や匂い、時に見せた秘めやかな仕草…それらのすべては「家=家族」との記憶です…
「家=家族」はそんな子供たちの記憶にも刻まれる装置です…キズさえもが記憶です…
「家」作りのすべては大人目線で行われ「遊び」の余裕がなくなりました…
いかに子供である時間が短いからとはいえ、これではあまりに「子供」の視線は無視されています…
子供の頃の記憶、音や匂いや肌の感触の一切、言って見れば好き嫌いや善悪などすべての価値観の萌芽はこの時期に作られます…それすらも与えない「家」の記憶は、実は大人たちからも「遊び心」の「余裕」は同時にわが子の成長の日常まで失っているのかも知れないのです…
今ではHMセンターが発達して、良さそうなもの、そのほとんどが模造品でも、安価で簡単に手に入り、使い方がSNSで共有され全国でマネされています…それらもやがてはスグに消える「家」…
子供たちに記憶は生まれず…想像力を失い「遊び」を忘れた大人たち…
大人に押し付けられる価値観…
「家」はどこかで啓蒙的であるべきだと考えます…
少なくとも一昔前までの建主や大工さんたちにはそんな心がありました…そんな家や庭や、町や山野をかけて育った子供たちは、たくさんの好きな場所を親から以上にまわりから知って大きくなります…
今は宅地開発が進みそんな好きな場所がなくなりました…
子供達から好きが奪われます…良い子であるために子供たちから好きを奪います…
そんな砦のひとつが「家」だとしたら…
子供時代の記憶が一生の価値観を決めているのだとしたら…すべてが大人目線で設計された「家」もまた子供だった記憶を封じ込める管理された建物なのです…
昆虫や小さな魚、花や木、天体に夢中になった子供の頃の記憶の数々…
きっと今はゲームやプログラミングに夢中になるのかもしれません…
それでも誰にも子供の時代はあります…
そんな記憶の断片や今も残るキズだとしたら…?
時々は自分も昔は子供だったこと、好きが幾つかあったことを思い出せるでしょう…
「トキメキ」「ワクワク」しながら、まるで古い写真帳をめくるように…
「家」はどこからでも家族を見守ります…特に子供には大きな存在です…
どうかそんな「家」と「家族」を作ってください…
良いリノベーターはこのことに協力しなくてはなりません…
「トキメキ」「ワクワク」はどこにもあります…
歳よりも若く見える努力をしたり、今でも若い者には負けないと運動したり、遠くが見えると少しでも誇ったり…そのすべてに他者に比べてという、他者の目があります…
もしも歳をとったあなたに「トキメキ」や「ワクワク」がないとしたら…?
時々はご自分の心を覗いてみてください…きっと心の片隅で「トキメキ」や「ワクワク」は埃をかぶったままなのかもしれません…それを見つけて丁寧に埃を落とし、背筋を伸ばして居住まいを正し…
そして今の自分を誇ってください…
「家族」を育てた「家」にも「愛情」を注いでください…
そのためにも所々に大事な子供の目線を作ってください…
これはあの「ビバリーヒルズ」にある、大きめでわざわざボロ家に作ってあるコテージ…
屋根の凹凸や煙突、壁に窓までもがボロ家風です…軒端の落ちかかった庇屋根までがしっかり造ってあります…
ここでももちろん屋根はシーダーですが、こんな仕事なら職人さんは楽しいだろうな…
場所柄、わざとこんな家を造ったとしたら…「家」の新しい顔と言えますね…
このブログの巻頭にコテージ・スタイルを描かせてもらっています…
アメリカ人にとって「コテージ」の意味は独特です…そのスタイルも独特です…
ウエンツェルの城のような塔や、ホビットのような小さくて丸いお家、火を吐くドラゴンが住む穴倉のようだったり、ランスロットが住む城のようだったり…そんなコテージに住むことでそれぞれの主人公になれます…TDLで人気のあるホーンテッド・マンションもそんな一つかも…みんなアダムス・ファミリーになれます…
彼らの子供時代、両親がベッドサイドで語ってくれた、子供が主人公のベッドサイド物語を記憶のどこかに残した子供の「トキメキとワクワク」を持った大人たちがこんな家を作ったのかもしれません…
残念ながら日本ではこんなベッドサイド物語、まして冒険は流行りません…
誰もが大人になってから「手塚治虫」を語っても、彼のようなストリーテラーにはなれないからです…
それは大人自身がそんな子供の時代を過ごしてこなかったからです…少し大きくなった子供が「ゲド戦記」や「指輪物語」「ハリーポッター」に夢中になるのもわかります…
女性がミッキーに夢中になり、そんな家を願うのもわかります…
「コテージスタイル」はそんな物語に住む主人公の人生に少しでも近づきたいと願い、あるいは近づこうとした「家」なのかもしれません…
人はみんなどこかで子供だった記憶を大切にしています…
どうですか?…あなたも時々は人知れず「トキメキとワクワク」を感じていますか?
人生の日々は毎日が「トキメキ」や「ワクワク」に満ちています…!
ご心配なく、誰だっていつかは年寄りになります…ね、ご同輩!