正面の波風と玄関まわりの石積みが特徴です…
2/18/2020に描いたお家と同じ感じです…
多分同じデザイナーによるものでしょう…ミネソタ州のミネアポリスにあります…
古人の残した知恵=工夫は大きな円環になって現代に繋がります…
知恵は古くから日本の各地で培われ、その後の発展・発達がまるで縄のように編まれて時代時代を生きてきました…日本がその技術力の工夫に優れていたのは言うまでもありません…
技術は必要と言う母が生んだ子供です…技術は生み出されるとすぐに使われます…使われることによって工夫や改良が生まれ、技術は洗練されて行きます…
その技術は僕たちの身の回りの様々な場面に生きています…それを日々の生活の中で使い分けながら、日本人は、いや市井の人々は暮らしてきました…
もともと技術力で大国になった日本なのに、今はその技術の受け渡しも途切れています…
いわばその技術に空白の時が訪れています…
なぜこんな状況になったのでしょう?…
それは個性がナンバー化されたIT化を「新しい」からと信奉し、旧来からの技術を「古い」からと簡単に線引きする頭=生活感や就職感にあります…
今はカードやIT 科学の発達が自動運転までやってくれる時代…まるで手塚治虫の漫画みたいな世界が広がります…それを簡単に受け入れる今の政治と社会は、同時に僕たちから「考える」ことを奪います…
今の僕たちはナンバー化されています…ナンバー化が管理しやすいからです…個人が見えないナンバー化…世界のどこでも起きていることが日本でも起きています…
いったいいつから僕たちは自分で考えたり他者から学ぶことをやめたのでしょう…?
この言葉は有名です…
ほんのちょっと前の学生諸君の座右の銘でした…
知識を広げ、関心を持つことです…
「知は力なり」と言います…一昔前の学生諸君はこの言葉を自分の座右の銘にしていました…
もとは16世紀イギリスの F・ベーコンの言葉で、英文では「Knowledge is Power」です…
当時のキリスト教社会で狭義に考えられていた「知」が日本ではもっと広義にとらえられます…
「知」には「知識」だけでなく「知恵」や「工夫」も含まれます…
「知」とは考えることであり、正しく「知る」ために「見る」ことです…でも今どれくらいの人がこの言葉を実感しているでしょう…大抵はスマホで知る=理解をしたように思っています…簡単に本物=Trueと偽=Fakeの違いを判断ができないほどに「考える」ことをやめたように思えてなりません…
「知」こそが人間であることの最も大事なものであることはルーシー以来大事です…
例えば3ヶ月前、凶弾に倒れた中村哲氏は「知」を追いかけます… ブログにも書きました 2019/12/11 …
アフガンの地で彼は貧しさこそが平和を阻害していると考えます…もともと医者の彼は農業を根付かせるために、困難の中で灌漑、治水、利水を独学で学びます…医業とは正反対の土木工事です…
灌漑は日本では当たり前の旧来の蛇籠(じゃかご)で護岸します…蛇籠は一昔前にはどこの川でも見かけました…コンクリートのない時代から使われています…人々は金網のカゴの中にそれこそ、そこらの石を詰めて防護堤を作ります…金網以前は竹かごです…形が蛇のようだから蛇籠と呼ばれました…
これなら、誰もが容易に修復できます…現地ではこの先も機械に頼ることなく人間の力だけで修復ができます…持続可能な優れた工法です…
そこに植樹すれば根が岩をつかみより強固な護岸装置ができます…自然への負荷がありません…
灌漑後の岸辺に木が茂り、自然に同化していることが最良の方法であることを物語ります…
さらに故郷の筑後川を守った「山田堰」(やまだぜき)を学びます…
古来からこの気性の激しい川と共存した古人の知恵を学びます…今の時代に生かすことを学びます…
動画で散見されるこの堰(せき)の古い書付と地図…そして彼の地図…測量や水勾配などの多くを学んだはずです…古いと言われた民間の知恵が、時と場所を変えても通用することを僕たちは知ります…
全ては治山治水を心がけて得意にしてきた日本人ならではの土木術です…井戸を掘る上総掘りもその一つで、日本人の心意気が後押しします…すべてが民間人の手で行われています…
今では死語のような「温故知新」…古きを知って新しきを知る…という意味です…! さらに9条を背負った日本人である自負、とりわけ「九州男児」であることが彼をこの困難に立ち向かわせたのでしょう…
今この言葉を知る若者は少数でしょうね…そのことが古さを学ばず、ただ新しさだけを受け入れる…
現代は、あるいは迎合するだけの時代のように思えます…政治の愚策が後押しします…
結果としてここに古人の知識が受け継がれない空白の時代が生まれたように思えてなりません…
18世紀に始まったイギリスの「産業革命」は日本の産業構造をも呑み込んで現在に至ります…
その中で日本人が得たものと、失ったもの…それは彼のような義侠心と気概だと思えます…
何よりも彼は「温故知新」という矜持にアフガンに生きたのでは、と想像します…
歴史的に見ても江戸はこうした全国の知恵が集まったいわば知識の集積場所でした…
刀鍛冶が切るを極めて包丁を生み、贅沢禁止令が色彩の多様性を生み、花見が庶民の娯楽になり、生活の賑わいが芝居や音曲、浮世絵を生み、ファーストフードを流行らせ、シェア社会まで作ります…さらに水利交通が循環農業を定着させます… その全ては LOHAS ロハス に叶うものです…
当時の人間の五感を豊かに鋭敏に刺激します…
どうやら意思の在りどころの一つは「温故知新」のようです…
僕たちのまわりには古人の知恵やその発展した形が沢山あります…ただその知恵を繋がず、学ばない人たちや耳を貸さない人たちが沢山いることも事実です…
古い知恵を知ることは、同時にその折々の人間の介在を知ることができます…
希望や苦悩、解決への努力を知ることができます…今の人間と何ら変わりません…
技術だけではなく人間を学べます…人間をより深く知ることが出来ます…
技術だけなら本やスマホが教えてくれます…その裏の人間を感じることが学ぶことではないでしょうか…中村哲氏の描く平和への思いや世界観もまた古人=人間の中にあったのではと想像します…
黒板やタブレットだけでは学べない世界…学びの大切さは一見無駄に思える出来事や話の中にあります…それに感応するのが人間の感性です…
それらはあなたの資質にないのではなく、どうやらあること自体に気づいていません…
古人の知恵はどんなことであれ大きな円弧を描くように、今の時代につながっています…
毎日の生活の中で聞くムダ話…そこにも大きな知恵があるのかもしれません…
未だにムダ話が好きだった先生たち…授業よりもウンと役に立っています!
ムダに思える話は知恵を助けてくれます…
いわば「知」の空白時代です…花だけを見るのではなく根も知ってください…
大事なのは考えることです…無駄と思うことにも関心を持つてください…
そのためにもスマホではなく人間の肉声を聴いてください…もっと年寄りの話を聞いてください…彼らは経験という得難い知識を持っています…古人との繋ぎ手です…知恵という円弧の先端にいます…
最も古い落書きはピラミッドに刻まれた、「近頃の若い奴らは」だそうです…
いつの時代も年寄りは若者を嘆きます…その若者も年寄りになれば同じことを落書きします…
でも知恵を途絶えさせたとは誰も書きません…
「まったく、青春というのは若い奴にはもったいない」…バーナード・ショウの言葉です…
敢えてお願いします…中村哲氏のように古い知識を繋いでください…人間が解れば平和であることの意味もわかります…
どう振る舞えばいいのかもわかります…彼はそれも学んだのでしょう…
「もしも目の前で誰かが倒れたら、すぐに駆け寄るでしょう? 放っておけないはずです」…これは何かで耳にした氏の言葉です…これが彼の生涯の矜持であったとしたら…僕はただただ恥じるばかりです…!
リノベーターならば…電気のない不便だった江戸時代、あの谷崎潤一郎の名著「陰翳礼讃」につながる闇=暗がりを見つけることができるはずです…今ならさしずめ闇が生んだいろんな化け物や怪談話の数々…ここにも日本人の感性の豊かさがあります…
まずリノベーターこそ知恵を切ってはいけません…「陰影のある表現だ」というイミもわかります…
ついでの話です…
政治に統制されて生きる現代を、暗示するかのような有名な小説「1984年」(ジョージ・オーエル)の、国民を統制する「政府」はこう言います…「無知は力だ」…「知は力なり」の反意語です…これも今の政治に酷似しています…
ところでF・ベーコンは「イドラ」という概念を提示したことでも有名です…意味は人間が創り出す「偶像」や「実体のない虚像」のようなものですが…これが今の「アイドル」の語源です…そう、僕たちはいつも「偶像」を探しています…
共にいつの時代でも、どこでも「知」=「考える」ことをやめれば襲ってくる暗黒=恐怖です…
このブログは、お客の利益の側に立つひとり親方がもっと増えてくれれば…と願って書いています…
特に女性こそこの分野へ興味を持ってください…あなたたちには特別な才能が眠っていると信じます…
日本だけじゃなく世界を知ってください…建築も世界を見せてくれます…!
そのためにも仲間と情報を共有してください…