ネコはよそ見が好き…キョロキョロ…まるで哲学者です…
あなたもきっと目にしたことがあるはずですが、
高い=高層ビルには必ず複数のクレーンがあります…
最低は二本で、あなたが気がつかないうちにそのビルは建ち、いつの間にかクレーンも消えています…
いったい地下鉄の電車はどうやっていれるのだろう?…と同じくらいに関心があります…?
犬もよそ見をしますが…ほとんどはあなただけを見つめます …
実は建物=ビルが高くなればクレーンも高くなります…
そのビルが高くなった時にクレーンも高くなっていないと仕事になりません…
ビルを高くするためには…クレーンも高くなるのですが…
そのためには、一つのクレーンがもう一つのクレーンを持ち上げて上にセットするわけですす…!
そして持ち上げられたクレーンは、先に持ち上げてくれたクレーンを持ち上げます…
こうやってクレーンはお互いの高さを少しずつ高くしてゆくわけです…
もちろんビルも高くなって行きます…!
ネコは何も言いません…ただじっと事実を見ています…
そのビルが出来上がってクレーンがいらなくなったら?…
今度はお互いが少しずつ小さく分解して、それぞれを地上に降ろします…
そして最後はポケットに入るほどの大きさになったクレーンを、ヘルメットをかぶった工事のオジさんが出来たばかりのエレベーターで降ろします…もちろん乗り込んでくるピカピカピカの社員には、口笛でも吹きながら知らぬ顔です…というオシマイはボクの想像、お楽しみの世界です…!
でも小さくなったクレーンやこんなオジさんを想像するとなんとなくニヤリとします…
というワケで高層ビルを高くするためには複数のクレーンが必要だということです…
ボクだって、考えます…!
これを見ながら、僕はずっとこう考えてきました…
二本のクレーンやビルはそれぞれ人間のカラダのようです…例えばクレーンの一本は「精神=心」いわゆる内面を表し…そしてもう一本のクレーンは「外観=フィジカル」肉体を表します…
そしてこの二本のクレーンが作ったビルが「身体」そのものになります…
ズデ〜ん…これもネコです…なにか?
クレーンの高さとは「知識や鍛錬」です…
例えば「知識」だけが高くなり、背伸びをしたクレーンの足元は脆弱でグラグラします…もう一つのクレーンを持ち上げることができません…
反対に肉体的なマッチョが「鍛錬」だけをしても同じことが起きます…
どちらかのクレーンだけが高いといびつな形になります…当然ですが、ビルだっていびつな出来です…
「アタマ」と「カラダ」…この二本のクレーンが「均衡」を保つことで、誰もが「いいからだ」を作りあげるのだと思います…!
ボクの名前は「パピヨン」…そう、「チョウ」のこと…だからたまにこうやって飛びます…
え、信じないの?…犬だって不思議な生き物なんです…
体だけで考える「筋肉人間」や、頭だけが考える「思考人間」…どちらも「いびつ」です…
人間の身体は本来こんな風にはできていません…二本のクレーンのようにそれぞれ適切に補い合って…「高く=成長」するはずです…
それでも「先天的」あるいは「後天的」に一つのクレーンだけで成長している人がいます…
その人たちはいつも自分や世界を相対視してもう一つのクレーンをコントロールしています…
たとえベッドに寝たきりでも、車椅子生活でも心の中の二本のクレーンは健全に機能しています…
むしろどこも悪くないフツーの人の多くが、どちらかのクレーンに頼っているのが現実です…
彼らは肉体や頭や美形だとイイのダ⁉︎と優越性を誇ります…彼らのほとんどは相対視することができず、自分の優位点だけを誇り、他者や弱者や他の文化を平気で貶めます…
犬に嘘つける人なんてメッタにいません…!
古くから日本には「文武両道」という言葉があります…
高いビル=正しい身体を作るのには、その平衡性というかバランスが大切です…そいう人は心の中に二本のクレーンを持っています…彼らや彼女たちはいつだってそのバランスを大切にします…
あなたの子供たち、何よりもあなた自身はどうですか?…いい学校いい仕事を信奉するあまりに、子供たちを壊していませんか…この世の中は多様性に満ち、いくつもの失敗や挫折が繰り返されて、その度に世界は進んでいます…
高いビルの上のクレーンを眺めるたびにこのことを考えます…!
「目は人間のまなこ(眼)なり」とはね…ナルホド!
ゲーテの「ファウスト」の中の特に有名な一節です…
「見るために生まれ、見ることを定められた!」…そう、この世界は見るだけで価値があります…
あのメフイストフェレスがファウストの耳元で囁きます…
「あえて言いますがね、つまらない考えにとりつかれ迷うなんざ、枯れた野原の上をグルグル引き回されているだけです…周りにはブドーの園が広がっているというのに…」
ムダ話です…
「ゲーテ」はGoetheと書ききますが…明治時代の洋学全盛の頃には「ギョウテ」とも読んだそうです…
そこで当時の川柳は「ギョウテとはオレのことかとゲーテ言い」…これも先生のムダ話ですが…
これはついでの昔話です…
スイスのレマン湖のほとりの有名なシオン城の牢屋を見た時、壁一面の岩に牢人や観光客の名前が彫られていました…
その中でガラス?で保護された落書きが「ゲーテ」のものでした…赤いバラが一輪添えられていたのを思い出します…
彼がこの旅を楽しみ、生きることを謳歌していたのだなと感じた落書きでしたが、今では禁止されているでしょうね…
他者に寛容で多様性を好み…色も好みも性差さえ問わない彼らの世界…
グローバリズムとは世界を知ることと同じ意味です…歴史や地勢からも学ぶべきだと思います…
その上で「相対視」する大事さも学ぶべきだと思うのですが…?
誰の心にもクレーンは二本立っています…!