こんにちは…

 

 

 今回は話が逸れます…

興味のない方はスルーしてください…

 

 

 何年か前から僕が好きな動画があります…何度も見ます…

あのアフガンの砂漠が緑の沃野になり、水が滔々と流れ木々が生い茂り…人々が嬉々として作物を収穫します…夕方にはそのあぜ道のあちこちで親たちが子供の手を引きながら家路に向かう…という動画です…

 

 まず以前の荒れた砂漠に目を見張ります…ついで一本の水路が水を運び、瞬く間に緑に変わった様を見せます…こうして見比べるとその違いに思わずこの目を疑います…あまりの風景の変わりようです…!

 

 疑り深いこの目は、はじめそれこそ皿のようにして眺めます…でも遠くの山の形や地形からやがてそれが同じ土地に起きた変化だということに気がつきます…

 

 この動画で、この運動の始めの一粒の種を蒔いた「中村哲氏」の活動を知ります…彼の朴訥とした話しぶりや、自ら重機を操り巨石や巨岩を動かす様を知ります…

 

 

 

 その計画のために部族の長老たちと何度も話し合い、村人を集め、実行に移します…いざ計画がはじまった時に参加をする村人たちの顔つきが、当初は日当だけだったのでしょうが、やがて計画そのものへの信頼に参加しているという「未来に希望」を持った顔になります…

 

 彼らのほとんどは素手と素足、一本のノミだけで大きな石に立ち向かいます…

中村氏によればもともと彼らには石への深い理解があるのだと言います…なるほどです…日本に木の文化があるように、彼らには石へのDNAがあるようです…

 

 確かに日本独特の「蛇籠=じゃかごを編みその中へ石を詰め、あるいは決壊した箇所の修復など、その技量には驚かされます…蛇籠はガキの頃遊んだ川では普通に見られたのですが、こんなにもスゴいものだというのも、この動画で改めて教わりました…

 

 もともとは医師であるはずの中村氏がこの計画のために土木や灌漑を独学で学んだという事実にも驚きましたが…その氏が取水口の難問にぶつかった時に、郷里の「山田堰=やまだせきという古人の知恵に学んだというその事実のすごさです…古来から急峻な地形と必ず訪れる災害の中で、山を治め水を治める「治山治水」の考えは穀物の増産からも政治的に不可欠なものでした…!

 

 

 ここ関東にも武田信玄が急峻な山肌を駆け下る「御勅使川」に作った「信玄堤=しんげんつつみは今でも正しく機能をしています…さらには八ヶ岳の中腹から出る湧き水を三箇所の村に分配する、通称「武田の三分水」などは、桝の真ん中に三角形の石杭が立っているだけ、その見るから単純に見えるその裏にはきっと複雑な計算が隠されているのでしょう…

 

 こうやって「水」を制御した農耕民族の大きな「知恵」は、今も僕たちのまわりに現存します…

機械力に頼らない方法こそが今ではなくてはならない「持続可能な力」だということを、中村氏は知っていたのでしょう…

 

 一本の水路…「水」こそが「未来」を約束できる大きなことだというのも、僕たちだけではなく世界は改めて知ったはずです…「環境問題」を今からでも語るべきだということがわかったはずです…!

 

 当然ですが、氏は「山田堰」を応用することでこの難問を打開します…

 

 

 驚くのは彼のこの「古典」から学ぶという「複眼視線」の大きさです…

独学で体得した土木の知見の広さを、きっと彼は多くの他人から学んだのででしょうね…

実際、僕個人も先生のムダ話や他人から聞かされた話の方が記憶に多くのこります…

 

 土木の世界はコンクリート信奉が強い世界です…早く確実に描いた通りに完成するからです…

でもこれではその後の保守や点検には専門家が必要になり、コストの負担も大きくなります…

日本の方法を使うことで「水を制御」する技術のすべてが彼ら自身のものになりました…

 氏の考えた未来はこうした未来=次世代へ大きな「円」を描くことだったとわかります…

 

 そして何よりも彼の根底にあった他の民族と文化を尊重し、彼ら自身がこれからの困難や危難を乗り越えて次の世代への希望を願うこと…地産地消であり持続可能な技術を植え付けること…その考えに支えられた「心の強靭さ」にあったことだったと今は知ります…

 

 そのことが「蛇籠」や「山田堰」など日本古来の方法から学んだということなのでしょう…

 

 彼の活動は国連や日本のJIKAをも力づけました…

先日亡くなった緒方貞子さんも言っています…「援助はそれをする国が効果を決めるのではなく、される側がその結果を決める」と…

 

 この混乱する世の中の各地には多くの日本人がさながら草の根になって、その国の文化がいずれは国力になることを願って活躍しています…井戸を掘り、野球を教え、学ぶことを教えています…世界的な災害のたびにその国の思想や宗教的な伝道をこれ見よがしに示す災害活動… その全てに背を向けと黙々と破れたボールを直し、食料指導をし医療活動を厭わない彼らの「心」に拍手を送ります…!

 

 中村氏も同じことをしていました…彼は学校やモスク(彼自身はクリスチャンだったと聞いています)を建てその国の文化を尊重してきました…

 

 

 

 そんな彼が凶弾に倒れました…

倒した側にも倒れた側にも同じ血が流れています…人間の両方が持っていた心の「闇」に唖然とします…

その違いはたぶん「学ぶ」ことの違いだったのでしょう…この地の子供たち、いや大人たちにも「平和」の概念がないと言います…学ばないとわからない「平和」の意味…中村氏はそのことが毎回の安心な食事からも立ち上ることを知っていました…!

 

 今回彼を救おうとして同じく銃弾に倒れた人がいます…彼らにも家族はいます…家族の悲しみや痛みは同じです…いつか彼らの家族、子供達にも中村氏が大きく広がることを願います…

 同時に中村氏を望んだ多くのアフガンの人々と文化のこれからを、彼ら自身が紡いで育ててゆくことを願います…

 

 

 思えば山を治め水を治めることは、とても古典的で人の固有の才能なのかもしれません…そんな才能を自身の中に見つけようとした彼には素直に感動します…

 僕が折に触れて彼の動画を見て話を聞くのが好きな理由です…

 

 彼の未来は絶たれました…それでも彼の描いた「夢」が大きくなることを願います…

今度の事件で「ペシャワール会」はより身近になりました…彼の意思を継ぐのはこんな僕たちひとりひとりの意思にも通じます…

 

 この国の政治家は鈍感です…所詮は他国のことであり、彼や緒方さんは「世界の知性」ではなく、政府に反対意見を持っていたから距離を置かれていました…日本にも横たわる問題が数多くあります…それでもその問題の解決に向き合い努力する人々がいます…僕たちの政治はこんな人たちを置き去りにします…

 

 結局は名もなき人々が世界に散って困難に立ち向かっています…

僕たちも僕たちにできることを始めないといけません…自分の中にある何かを探さなくてはならないようです…

 

 同時に学ぶことの大事さは、決して教科書の中にあるのではなく、人が教えてくれるのだということも学ぶ必要があります…

 

 

 

 「 アフガニスタン」のアイコンでよく知られている一つが「アフガン・ハウンド」でしょう…

すらりとした体型と、エレガントな雰囲気はさながら貴族を思わせます…この犬の起源は古く、紀元前数千年にも及ぶそうです…その頃から既にこの国の人々と山野を駆け、ハウンドの特徴として狩りに明け暮れる中で人間に寄り添っていたことが想像できます…

 もともとは礼儀や他人への義理に厚い民族だと、氏は教えてくれました…きっとこの犬のように人懐っこく、他人に献身的なのでしょう…それこそが今の世界に欠けている「美質」だからです…

 

 

 

 中村哲氏のご冥福を心から祈ります…!

 

 

 

 

 

 最後に、ダルメシアンさん、ごめんなさいです

あなたを反転させてこれではまるであなたたちに二面性があるようですよね…101匹わんちゃんのどれにもこんなネガティヴはいません…誠実で純真で二心のないあなたたち犬族にはこんな二面性はありません…そこで最後にあなたたちの名誉=本当の姿を描きます…これも平和を感じればこそです…

 

 

 

いよいよ「師走」…「門松は、冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」

 ね、ご同輩!