こんにちは

 

「 文字なんか読めない小僧…

 達筆な旦那に手紙を届けるように頼まれた…

 

 この小僧、文字は読めないけれど土地カンはある…ってんで

「なぁに近所に行って、分からなければ誰かにこの手紙の表書きを読んでもらいやイイや」…と、鼻うた交じりで通りのあちこち見ながら歩いてく…

 

 そのうちすっかり旦那に言われた相手の名前なんか忘れちゃった…

旦那には「いいかね、大事な手紙だ くれぐれも相手を確認してから手渡すんだぞ」ってきつく言われてるのに…

 

 それでも初めに旦那に言われたお相手の名前はすっかり忘れちゃった…

そこで向こうからやってきた、いかにもって感じの人にふところの手紙の相手のお名前を読んでもらった…

 「う〜ん、なかなかの書き手だな」といかにもの人は感心しきり…

「これは上はタイラと読み、下はハヤシだな。お相手はタイラハヤシさんだ」…

「へい、ありがとうございます」と小僧…今度は忘れないぞと口ずさみながら歩くんだけれど…どうも旦那の言ったのとはなんか違うってんで、次に身なりのいい人に聞いてみた…

 

 「どれどれ、なかなかの達筆な方だ」と身なりのいい人は言いながら…

「これはだな、上はヒラと読み、下はリンと読むぞ。お相手はヒラリンさんだ」…

小僧丁寧にお礼を言って「また忘れないぞと」思ったはいいけれど読み方が二つになっちゃった…

 

「タイラハヤシかヒラリンか?」口に出せば出すほどに迷っちゃう…

しかもこんなんじゃなかったぞ、と今度は品のいい御仁に聞く…「ほほう、なかなかの書き手じゃな」と品のいい御仁…「これはな、上は横一本がイチで次の両側のちょんちょんはハチだ、それでまん中はジュウ、下は木が二つでモクモクと読むな」…「お相手のお名前はイチハチジュウのモクモクさんだ」

 

「へい、ありがとさんです」とは言ってみたものの…

「タイラハヤシか?ヒラリンか?イチハチジュウのモクモクさんか?」ともう何が何だかわからない…今度こそはこの人ならば…ってんでいかにも品の良さそうなご隠居に聞く…

 

 その品の良さそうなご隠居「う〜ん、これはくずし字の名人だナ」

と言いながら「上の横一文字は一ツと読むナ…それでこれはハチではなく八つだ…

真ん中の十はそのままトォと読み、下は木が二つだからキキと読む」「お相手は一ツとヤッツのトォキ、キキさんだ」

 

 タイラハヤシか、ヒラリンか、イチハチジュウノモクモク、ヒトツとヤッツでトキキ…タイラハヤシか、ヒラリンか、イチハチジュウノモクモク、ヒトツとヤッツでトキ、タイラハヤシか、ヒラリンか、イチハチジュウノモクモク、ヒトツとヤッツでトキキ…口ずさみながら通りを歩いてく

 

 小僧、もう何が何やらわからずもう泣き声だ…

そうこうするうちにお目当ての屋敷…そこには旦那の言ってたお相手が…小僧ふところの手紙をひっつかんだ途端に、旦那の言ったことを思い出した…

 

「へい遅くなりました。平林さんですね?」

 

 

 …と、これは落語のハナシ

それぞれに博識を見せたがるから、こんな読み方の違いが出てくる…ある人には達筆、能筆でも、ある人には拙筆になる…その上でいろんな読み方も出てくる…

 これも墨書きの魅力です…

 

 PCやスマホでは文字という「信号」は伝わっても、書き手の「心=感情」は伝わりません…まして絵文字や「笑」などの文字は読み手に強制的で、僕はどうも好きになれません…「笑」を多用する人の「笑」のセンスも悪そうです…

 

 でもこれが現代の文章のやり取りだとしたら…同時に言葉の文化もなさそうです…

 

 ありがとう

はがき一枚でもメモ一枚でも、自分の言葉を書きたいものです…

 ね、ご同輩!…

乱筆乱文は恥ずかしがることではありません…「以心伝心」お互いの気持ちがそれ以上に伝わります…