こんにちは

 

 アジィ〜!ですねぇ…猛暑ではなくもはや酷暑ですが…皆さんお元気ですか?

あんまりクーラーになれると、知らず知らずに暑さへの抵抗力も奪われますよ…

 

 ところで、最近は「社会的な格差」やら、「離婚」などから「自己肯定」も「悲劇的」になって、あらためて「幸せ」の定義、イミを考える人が多いようです…

 おバカな政治家の無責任な発言にも鈍感になります…

 

 「貧乏」と思えば「お金」を…「寂しい」と思えば「誰か」さんを…それぞれが考える「幸せ」の形も違うようです…当たり前といえば、アタリ前田のランチクラッカーです…

 

 でも「幸せ」の基準なんて人それぞれです…

僕たち世代が忘れない詩があります…

 

「 山のあなたの 空遠く

 さいわい住むと ひとの言う

 

 ああ われひとと とめゆきて 涙さしぐみ 帰り来ぬ

 

 山のあなたに なお遠く

 さいわい 住むと ひとの言う 」

  とめゆく、というのは「訪ねゆく」という意味です…

 

 この詩は上田敏の「海潮音」で訳されて、有名になりました…

 僕たち世代では、三遊亭円歌師匠の…山のアナアナ〜で知ってますよね…

 

 作者はカール・ブッセ…ドイツ人ですが、この一節だけで日本で有名です…

 

 僕も若い頃は考えました…

山を歩きながら、たしかにずうっと山に囲まれて生きるとあの山の向こうに、なにか違ったもの、しあわせがあるんじゃないか?…そうやって人は山を越えるんだ、と考えました…海に囲まれれば、あの水平線の向こうに幸せがあるかもしれない…

 こうやって僕たちの先祖は山の向こうに「憧れ」てきたのではないか?…

この詩を口ずさみながら、こんなことを考えたものです…

 

 今は年をとってこう考えます…

詩の中の「われ」とは、文字通り自分のこと…山のあなたの空遠くとは…若かった頃の自分…若い頃は幸せを求めて一生懸命だったような気がします…仕事も結婚も…

 でもそのどこにも「幸せ」はなかったようです…お金も地位もそこそこには手に入りました…でもその先を追い求めて…幾つかの失敗を繰り返し…今があります…

 今は孤独で一人でも、心にはたくさんの景色があります…私が孤独な時、私は最も孤独ではない…と先人も言います!…しあわせでいられます…

 

 自分の人生を悔いているのではありません…

この詩を思い浮かべる時、自分の山の彼方は自分自身にあったのではと、今は思います…きっとこの詩の「しあわせ」とは、どうやら僕の人生のことだったようです…

 

 山の向こう、海の向こうに何があるのだろう?…雲の流れる先に何が待っているのだろう?…それを追いかけるのは若いから出来ます…

 どうか、あなたの「しあわせ」を追ってください…でもそれはあなたの「こころ」が決めること…他人がくれるものではありません…

 

 「人は過ちを犯す。努力しているからだ」…その過ちこそ大事だったと今は思います…「しあわせ」なんてその上に築かれるものかもしれません…

 

 ありがとう

 なんにせよ、あなたは「しあわせ」を他からもらおうとしていませんか?…あなた自身であることが大事なことです…

もっと自分を大切にしてください! 死ぬまで「山のかなた」はあります…

 そう思いませんかね、ご同輩!

 

 

 …山のあなたになお遠く 幸い住むと人の言う…