こんにちは
また訃報です…エベレストで登山家の栗城史多さんが低体温で亡くなりました…
無酸素登山で世界の屋根に挑戦している最中の遭難死でした…
世界の最高峰の山です…高さは海抜8848mあります…すぐ上はもう成層圏…ジェット気流が吹き荒れ、当然酸素は薄く、酸素ボンベ無しでは登山が困難な山です…
そんな山ですが1953年にニュージランドのヒラリーとシェルパのテンジンの二人が初めて登頂に成功、以来毎年世界中から登山者を集める人気の山になります…
登山は五月ころ、一年で一番天候が安定するこの時期を狙います…高所ほど酸素は薄くなり、ボンベ無しの登山は身軽なだけに人間の肉体の戦いになります…今回の栗城さんの遭難死もこのボンベのない無酸素登山に挑戦中でした…
初登頂以来おおよそ200体の遺体が放置されたままというのも、この山がいかに過酷な登山を強いる魔の山かということがわかります…
そのエベレストの初登頂をめぐって各国が争っていた時代…
1924年イギリスの第三次遠征隊が派遣されます…このとき隊員の一人は一瞬の晴れ間の中に頂上直下の最後の難関、有名なセカンドステップで二つの人影を見ます…
晴れ間はすぐにモンスーンの闇に消え、人影も消えます…その一人は有名な登山家のジョージ・マロリーとアンドリュー・アービン…その頃酸素ボンベの大切さに気づいていたマービンがサポート…これがマロリーの最後の姿でした…彼らは山頂を踏みその歓喜を持ち帰る途中の遭難なのか?…それとも敗走の途中だったのか?
彼らの言動や時間的な逆算から初登頂があったとする説や、いや初登頂はなかったという説まで多くの謎を残しました…後年初登頂をしたサー・ヒラリー…(彼はこの功績でナイトに列せられます)はマロリー達の初登頂があったかもしれないと述べてマロリーに深い敬意を示します…
1975年その頂上直下でマロリーらしい遺体があると中国隊が発見、1999年国際捜索隊により回収されます…高山の乾いた気候の中でミイラ化したマロリーの遺体からは幾つかの遺品も見つかりますが…愛用のコダックのカメラだけが見つからず…
つまり事実の記録のないことが初登頂の謎をいっそう深めます…生前マロリーは愛妻の写真を山頂に埋めるのだと、いつも懐に入れて大事にしていたそうです…その写真も見つからず…アービンの遺体は今も発見されていません…
常々マロリーはこう言っています…「登頂は生きて帰ってこそのものだ!」と…生きて帰らなかったマロリー…サー・ヒラリーと同じようにマロリーを愛する世界はどこかで彼の初登頂をまだ信じているのかもしれません…
エベレストが全貌を表す晴れた日…その山肌には幾筋もの岩の断層が見えます…
ここでは古生代にそこが海底だったと示すアンモ貝が見つかっています…かつて深い海底だった岩が大陸の衝突で隆起…今では世界の屋根と呼ばれるほどの高さになり…反対に今最も低く海に沈むフィリピン海溝がその頃には地表だったという不思議…僕たちがこうやって生きている地球の気の遠くなるような記憶の記録です…同時に僕たちに必要な「ロマン」も感じませんか?…「ムー大陸」もあったのかもしれませんね!
未だに僕たちを容易に近づけないエベレストでは、そんな科学と自然の不思議さが出会います…酸素ボンベが可能にした登山と、そのボンベを遠ざける無酸素登山…
そこには人間だけが持つ「夢」への挑戦があります…田部井淳子さんが1975年5月に女性で初めて山頂に立ったのもそんな「夢」の実現でした…
1923年のニューヨーク、タイムズのインタビューにマロリーが答えています…「あなたはどうして山に登るのですか?」「そこに山があるからだ!」…
英語の原文では ~it~になっていますが、itはエベレストを指しているといいます…
今回の栗城さんの訃報の裏には僕たち誰もが持っている冒険家たちの「夢」の蓄積があったと思います…そしてこの山の科学と自然の不思議な出会いを思います…
心からのお悔やみを…
ありがとう
無酸素登頂はラインホルト・メスナー氏が初めてですが…彼と「雪、岩、氷」のガストン・レビュファは当時の僕のヒーローでした…僕の若い頃は登山が面白かったんです…あの頃の夢や情熱はどこへ行ったんでしょね…ね、ご同輩!
なお文中の数字はウイキペディアにご厄介になりました…話は覚えていても数字的な記憶はどうも、というトシなので…