こんにちは…!

 

また訃報です…! すみません、こういうのが目につきやすい年なんですね。

 

もう先月になりますが、あの東京オリンピックの名花と言われた、チエコのベラ・チャフラフスカさんがなくなりました!

東京オリンピックといっても前回のですから1964年、今からもう半世紀も前の遠い記憶です!

 

みなさんも知っての通り東京オリンピックは、敗戦後のわが国の文化度を世界に示す絶好の機会でした。マラソンの裸足の英雄アベベとともに悲劇的な円谷選手を思い出す人もいるんではないですか…!

 

今でこそ体操競技は、軽業的な高度な技を示すのが一般的ですが、当時の彼女はちがいました! どちらかと言えば今よりも太目でしたが、彼女の演技にはTVの普及もあって、その姿体のしなやかさ、笑顔の素晴らしさ、その奥に秘めた意志の強い顔に日本中が魅了されました…! 

今となっては他の選手を思い出されないくらいです…

 

帰国後の1968年に祖国ではいわゆる「プラハの春」と呼ばれる、チエコスロバキアのソ連圏からの民主化を求める運動が起きます。

運動の主導的役割を果たしたのは、ドブチェク。この名前はどういうわけか、忘れません。それだけ当時の僕は政治的だったのかな…

間もなくこの運動に賛同する「二千語宣言」も発表されます。チエコの多くの有名人がサインするなか、彼女もこれにサインします。

 

この「二千語宣言」を反共と見たソ連軍はワルシャワ条約同盟軍を動員して、プラハを蹂躙、粉砕します…その後に来る共産党の暗黒の時代…

サインをしたことで反共的とみられた、他の多くの人とおなじようにチャフラフスカ選手もまた不遇な永い冬の時代を迎えます…!

その長い期間を自由を奪われて、監視のもとにおかれて貧しい生活を余儀なくされたといいます…

 

その間の苦しさは彼女の評伝に詳しく描かれています!

 

そして1989年の共産党の崩壊、公職に復職したチャフラスフカ…!

東北大震災にもなんどか訪れています。その後ガンと戦った彼女は生前「愛する日本の皆さんには、今の姿を見せたくない…」とかたくなに来日を拒んだといいます…!

 

名声と苦難の時を歯を食いしばって生きた、ベラ・チャフラフスカ…!

あなたはまさに「東京の恋人」だったんですね…!

 

 

余談ですが「二千語宣言」にサインをした、チエコ・フィルの指揮者カレル・アンチエル、その後の彼はカナダに亡命…その初めての演奏体験は前回にも書きました…

その来日会場は、今はもうない東京都体育館!(あの体育館ですよ!)

以前のオリンピック施設は今はもう次々に壊されて、東京はやがて新しく二回目のオリンピックを迎えます!

 

せめてあと4年、東京オリンピックまで長生きをしていただきたかった…車いすでもよかった…というのは僕の欲ばりかもしれませんね… そういう僕だってわからないんですから…!

 

 

でも、もうあなたのように僕たちの心をつかむような女性は、現れないのかもしれません…

「チエコの名花」なによりも「東京の恋人」…ベラ・チャフラフスカ!

 

 

ご冥福をお祈りします…!