こんにちは…!

 

今日はお伝えしたいNEWSを二つ、聞いてくれませんか?

ひとつは、錦織選手がオリンピックで銅メダルを取ったことを祝いたいのですが…!

でも久しぶり声を大にして言いたいことの方が先…というワケ!

 

というのは、この十四日に亡くなった、あの西鉄ライオンズの名選手豊田選手の話です。かくいう僕は、東京を少し外れての東京生まれの、東京っ子!

だから筋金入りの巨人嫌い。

 

やはり日本の野球の最強はいまだに「西鉄ライオンズ」!

玉造、仰木、高倉、大下、中西、和田、稲尾、〜と、続くライオンズのオーダーは、今でも「西鉄ライオンズ」の、遠い記憶…!

 

もちろんあのころの巨人は好きでしたが、というのも水原監督以下、広岡、藤田、大友、そう新加入の長嶋、それに与那嶺選手もみんな紳士の集団でした。

今は金がありさえすれば強い!という、およそ江戸っ子離れの粋のなさ…どうしてこんなになっちゃったのかなぁ!

 

対して西鉄ライオンズはその荒削りな格好から、野武士集団と例えられたものです。この両チームが雌雄をきっするのは、当時としては大きな出来事だったのをおぼえています。

 

水原監督が巨人に誕生し、巨人を去った三原コーチが監督として西鉄ライオンズに入ったのを機に、僕も西鉄のファンになりました。

なにしろ規則にユルい九州男児の寄せ集め、バッターボックスでは前の日の酒臭さも匂ったといいます。

 

やがて南海ホークスを轟沈させて、日本一の戦いを挑んだのが巨人…

昭和31年から33年までの西鉄ライオンズは再強でした!

打棒もふるいました…その中心にあったのが、関東は水戸高校出身の豊田選手。

ハンサムな顔つきとバットスイング、水戸っぽらしい語り口から、引退後も人気がありました。

 

こんなチームも選手ももう二度と現れないでしょうね!

あの「西鉄ライオンズ」の灯も消えました。

その後黒い霧事件もあって、球団名もコロコロ変わりました。

今は福岡には宿敵だったホークスの名があります。

 

でも僕にとっての最高の野球チームは「西鉄ライオンズ」だけ!

今は無い、そのフランチャイズ球場の名が「平和台」というのも、この季節へのなにかの縁…!

豊田泰光さん…ご冥福をお祈りいたします!

ありがとう…!

 

 

「西鉄ライオンズ」は永遠だぁ…!