四国淡路へ出張を繰り返してるのは、3年前に発案した邪馬台国新説が本当に成り立つのか、自分の目で確かめるためです
2020年夏に魏志倭人伝を読んでるうち、魏の使者が通ったルートは、四国と淡路島を一周して九州に再上陸するものだと思いつきました
詳細は当時の記事に書いてあり、リンクを貼ります。ブログ記事は長いので、A4一枚にまとめ直した図説を先に上げておきます
まずは鳴門海峡付近の地図
北側から鳴門海峡を一望できるのは、南あわじ市の弁天島。南側のビューポイントは鳴門市のイワシ山。両者は幅1.3kmの海峡を挟んで12km離れています
それらを含めて海峡の両側に、これといって目立つ自然地形はありません
7/19 弁天島。橋が掛けられ海釣り公園になってます。この日は休園日で誰もいませんでした
7/17 堤防道路先の小さな三角形がイワシ山。中央奥から右手側、海を挟んだ陸地は淡路島
道路の下は鳴門金時というサツマイモ畑です。塩分を含んだ砂地で育てて、甘味が強いそう。たぶん畑はかつて海で、イワシ山の丘陵地帯は島だったのでしょう
南北の風景写真の比較の前に、一つ注意点
初回出張前に鳴門の観光業社へ「鳴門海峡を北側から見るのと南側から見るので、同じ海峡と判別できるか」という趣旨の質問をしました
回答は「橋や建物を見れば分かるでしょう」
いやー、確かに今は立派な橋がありますけどね…
私が調べているのは、1800年前のことなんですよ。鳴門大橋ができたのは近年で、当然ながら三国志の時代にはありません。自然地形から判断できるか知りたいのです
そんなわけで、南北のビューポイントで撮った写真を修正して橋や道路を消去しました
2つの風景を比べて、同一地点のオモテ・ウラだと見抜ける人はいるでしょうか?
上:7/19 弁天島からイワシ山を見通す(北→南)
下:7/17 イワシ山から弁天島を見通す(南→北)
特徴をあえて言葉にすれば
・幅が広くはないが狭小でもない水路
・海峡の両側は丘陵で、高い山はない
・海峡の中に丸い小島が2〜3個ある(眺める角度によって見える数が変わる)
こんなんじゃ同定できっこない!
表と裏で似てるっちゃ似てるけど、同じ場所だと確信できるような材料がありません
鳴門海峡は、近づいて渦潮🌀を目撃しない限り、遠目には瀬戸内海に数多くある、ありふれた水路に過ぎません
鳴門海峡のみならず四国淡路一周800km回っても、目印になる地形がほとんどありません。似たような島並みや山並みが延々と続きます
目につくランドマークがないという、観光的にはちょっと残念な四国沿岸の地形的特徴を利用して、古代の倭人が中国使者にトラップを仕掛けたのです