四国淡路へ出張を繰り返してるのは、3年前に発案した邪馬台国新説が本当に成り立つのか、自分の目で確かめるためです


2020年夏に魏志倭人伝を読んでるうち、魏の使者が通ったルートは、四国と淡路島を一周して九州に再上陸するものだと思いつきました

詳細は当時の記事に書いてあり、リンクを貼ります。ブログ記事は長いので、A4一枚にまとめ直した図説を先に上げておきます



邪馬台国への道のり



誰がどんな意図を持ってこんなトリックを仕掛けたのか? それは小説で描くつもりです

倭人は地形と産物(真珠)を用いて、列島が南方へ延びているかのように、魏使が錯覚するルートへ引き込んで騙していますよ。悪い奴らだ🤪
古代中国の錯誤した報告書に引きずられているから、いまだに邪馬台国の位置論争で定説が得られないのです(私は九州説ですが、従来のものと違って九州再上陸説)


西日本の地形を使った大掛かりなトリックのキモは、北部九州を出て時計回りに四国一周する途中に、淡路島周回を挟むことです。四国島だけを辿って九州島に再上陸するならば、同じ場所に戻ってきたと勘付かれる恐れが大きい

四国東端で鳴門海峡の北側を迂回し、一周150kmの淡路島を回ってから再び鳴門海峡の南側に出ます。こうすると四国島を一旦見失う上、途中に明石海峡や紀淡海峡通過というイベントを挟むので、同じ海峡の裏側に回り込んだと気づくのは難しい
鳴門海峡北側〜淡路島一周〜鳴門海峡南側のルートをとれば、四国の北岸・瀬戸内側と南岸・太平洋側が別の島と認識されてしまうのです(四国スプリット現象と名付けました)

紙地図では私も発想できなかったかもしれません。Googleマップを拡大縮小、グルグル回して視点を変えるうちに思いついたものです。マップの上では成り立つものの、実際に見たらどうなのよ?
コロナに足止めされていた実地検分へようやく行けるようになりました。このブログで調査報告書を作っていきます


まずは鳴門海峡付近の地図

北側から鳴門海峡を一望できるのは、南あわじ市の弁天島。南側のビューポイントは鳴門市のイワシ山。両者は幅1.3kmの海峡を挟んで12km離れています

それらを含めて海峡の両側に、これといって目立つ自然地形はありません



7/19  弁天島。橋が掛けられ海釣り公園になってます。この日は休園日で誰もいませんでした



7/17  堤防道路先の小さな三角形がイワシ山。中央奥から右手側、海を挟んだ陸地は淡路島

道路の下は鳴門金時というサツマイモ畑です。塩分を含んだ砂地で育てて、甘味が強いそう。たぶん畑はかつて海で、イワシ山の丘陵地帯は島だったのでしょう



南北の風景写真の比較の前に、一つ注意点


初回出張前に鳴門の観光業社へ「鳴門海峡を北側から見るのと南側から見るので、同じ海峡と判別できるか」という趣旨の質問をしました

回答は「橋や建物を見れば分かるでしょう」

 

いやー、確かに今は立派な橋がありますけどね…


私が調べているのは、1800年前のことなんですよ。鳴門大橋ができたのは近年で、当然ながら三国志の時代にはありません。自然地形から判断できるか知りたいのです



そんなわけで、南北のビューポイントで撮った写真を修正して橋や道路を消去しました

2つの風景を比べて、同一地点のオモテ・ウラだと見抜ける人はいるでしょうか?


上:7/19  弁天島からイワシ山を見通す(北→南)

下:7/17  イワシ山から弁天島を見通す(南→北)



どちらの写真にも、反対側のビューポイントが海峡越しにうっすら写ってます
まあ、何ともコメントしようがないでしょう。視覚的、地形的な特徴が乏しいんですよ…


特徴をあえて言葉にすれば

・幅が広くはないが狭小でもない水路

・海峡の両側は丘陵で、高い山はない

・海峡の中に丸い小島が2〜3個ある(眺める角度によって見える数が変わる)


こんなんじゃ同定できっこない!

表と裏で似てるっちゃ似てるけど、同じ場所だと確信できるような材料がありません



鳴門海峡は、近づいて渦潮🌀を目撃しない限り、遠目には瀬戸内海に数多くある、ありふれた水路に過ぎません

鳴門海峡のみならず四国淡路一周800km回っても、目印になる地形がほとんどありません。似たような島並みや山並みが延々と続きます


目につくランドマークがないという、観光的にはちょっと残念な四国沿岸の地形的特徴を利用して、古代の倭人が中国使者にトラップを仕掛けたのです