縄文時代調査の2-3日目は、新潟県糸魚川市のヒスイと、中越地方(長岡市、十日町市)の土器を視察しました


糸魚川は、今までブログに2回登場しています
2016年5月のツーリングで、よりによって「天険断崖黎明」という場所で落車して走行不能になり、翌年にリベンジを果たした因縁の地

(2017年9月13日)

糸魚川は、フォッサマグナと呼ばれる日本列島の裂け目です。北アルプスの断崖が直接海に落ち込んでいる難所
2016年に訪れた時は、何だか恐ろしく思えて、到底無事に済まされない予感がしてたのでした😨


今頃になって用事ができて3回目の訪問
大きな断層から珍しい鉱石が取れ、縄文時代からヒスイの産地でした


糸魚川市のフォッサマグナ・ミュージアムでヒスイの歴史を調べました

ヒスイは、古代人の勾玉耳飾りとして知られています


糸魚川のヒスイが、中国に運ばれていたと予想しました
卑弥呼は真珠5000粒と大珠2個を魏に贈ったとされます。真珠は宇和海産、大珠は糸魚川産のヒスイと目しましたが、その証拠を確認できませんでした
ただ、卑弥呼の時代(1800年前の弥生時代)には、日本国内で糸魚川産のヒスイが流通していたのは確実でしょう



長岡市と十日町市の博物館では、火焔型土器を観ました



土器の製作は女性の仕事と推測されていますが、火焔型土器は雄々しい印象を受けます
現代人が見ても、盛り過ぎィ‼️


食料や時間に余裕ができたからといって、こんなの作らないよね…
ここまでダイナミックかつ精緻な造形になったのには、何らかの動因があったと考えます。従来の考古学では、縄文土器の芸術的発展の動機の説明が抜けているのです

製作者を燃え立たせるパッションがあったはず🔥

星帝・牽牛が日本に居り、製作者が見せたくて、見てもらいたくて、過剰な装飾性が発達したと考えています