汚染水海洋放出は、グローバリストたちの言いなりになって日本を潰すため? | misaのブログ

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汚染水海洋放出について


 
















ー抜粋ー

岸田総理が中国に対して禁輸措置の即時撤廃を要求したとのことだが、自分たちがやらかした世紀の愚行や悪行をまるっきり棚に上げて、あたかも「中国が悪いことをした」かのように抗議しているのだから、その身勝手さやアホさ加減にまさに開いた口が塞がらない。


これもまた、グローバル支配層による「日本滅亡工作」の一環であり、日中関係の悪化と緊張が激化し、加えて日本は経済的に相当深刻な打撃を受けることが確実な情勢だ。


日本国民の長期的な健康状態の悪化も強く懸念されるし、ストロンチウムなどの危険性の高い放射性物質が大量に流された場合には、次の世代にも放射能汚染が引き継がれていく恐れもある。


文字通り、「日本滅亡」に向けて新たな段階に突入したといえるし、岸田総理は、「日本を地獄に突き落とした悪魔の化身」として、未来永劫語り継がれていくことになるだろう。


<抜粋終わり>


タンクの置き場はまだあるようですし、海洋放出をこんなに急ぐ必要はなかったと、多くの人が言っています。


やはり、日本人を滅ぼすためなのでしょうか。


もっと、他にも手立てがあったはずです。


トリチウム汚染水を無害化するオオマサガス技術↓





神社100選巡り 砥鹿神社


7月に関西に向かう手前、豊橋駅で途中下車して三河一宮駅近くにある砥鹿(とが)神社に参拝して参りました!


飯田線は、めっちゃローカル線で、Suicaなどは全く使えず、『三河一宮駅』には自動券売機すらありませんでした💦


でも、駅前にめちゃくちゃ安いコインロッカーがあって助かりました。


ロッカーに、キャリーケースを入れて、暑い中頑張って砥鹿神社に向かいました。


西参道石大鳥居↓


この石鳥居は、本宮山山頂にある砥鹿神社奥宮の遥拝所として、1842年に建てられたものだそうです。


花崗岩の鳥居に見られる数カ所の欠損は、空襲で被弾した跡だそうです。


西鳥居↓


砥鹿神社の始まりは1300年以上前、西暦700年ごろとされています。


文武天皇の時に、天皇の病を鎮めるための勅使として草鹿砥公宣(くさかどのきんのぶ)が派遣され、本宮山の神さまを迎えて里宮が創建されたそうです。


西神門↓


戦国時代の永禄年間には、付近に徳川家康の命を受けた本多信俊が一宮砦を構えて今川軍に包囲されましたが、家康が寡勢で救援に駆けつけて多勢の今川軍を蹴散らし、砥鹿神社に宿陣したと伝わっています。




奥宮遥拝所↓


守見殿神社↓




御本社↓


親子なで鹿↓


日本一大きいさざれ石↓


砥鹿神社には、こんな言い伝えがあるそうです↓


当時の文武天皇が病氣になり、夢の中で「三河の国の煙巌山(鳳来寺山)に住む仙人を連れてくると病氣が良くなる」と告げられました。


そこで、天皇は官職の草鹿砥公宣を三河国に派遣しました。


公宣は本宮山中で道に迷ってしまい、そこで出会った老人に導かれます。


そのおかげで公宣は仙人を天皇のもとに連れて戻ることができ、天皇の病氣は良くなりました。


天皇は老人にお礼をするため、再び公宣を本宮山に行かせます。


公宣は、自らを「本宮山の神」と名乗る老人の望みを聞いて、山麓に宮居(砥鹿神社)を建てる約束をしました。


この時に老人は自分の衣の袖を抜き取って、前を流れる川に投げ入れます。


公宣は流される袖を追いかけて山を下り、拾い上げた場所に宮居を造りました。


これが『砥鹿神社里宮』なのだそうです。



神亀石↓


御朱印がカラーだったので買って来ました↓


帰り道、汗が流れっぱなしとなり、放心状態で駅のベンチに座っていたら、突然思い出しました!!


そうだ!私、キャリーケース持ってたじゃん!


慌てて、コインロッカーに取りに行きました。


電車がすぐに来ていたら、すっかり忘れるところでした。あぶねーあぶねー💦


外は暑いけど、飯田線の車内はキンキンに冷えていました。


幸い、身体が凍る前に豊橋駅に着いたので良かったです😆


真夏に神社巡りはするもんじゃないねー、と言いながらも、懲りずにまた行ってしまう私なのでした。。。