土曜日に開催された保江邦夫さんの講演会の様子を簡単にまとめさせて頂きます。
その日のお話しは、主に「中今に生きる」というものでした。
「中今(なかいま)」とは神道用語で、過去から未来へと流れている時間の一部分の事を表しています。
今、私たちが生きているまさにこの瞬間が「中今」なのです。
私たちは、今、この時を生かされていて、今この瞬間を精一杯、全力を尽くして生きていくというのが神道の考え方になります。
また、中今を仏教用語で表すと、涅槃(ねはん)・ニルヴァーナ・刹那となり、「煩悩が消え、悟りの境地に達した」状態を指します。
難しい話だと思っていたのですが、「中今に生きる」とすごい事が出来るという実験を保江さんが見せてくれました。
会場に来られていた90キロの男性が、保江さんの右腕を両手でつかみ、床に押さえつけます。
普通では、どんなにあがいても、右腕をあげることすら出来ません。
ところが、保江さんが「中今状態」になると、簡単に男性の両手を払いのけ、立ち上がってしまったのです。
90キロの男性は、その勢いに圧倒され、仰向けにひっくり返ってしまいました。
えーー、何が起こったの〜〜?
皆んな、びっくり仰天でした。
つまり、こうです。
私たちは、網膜から入った情報を、常に0.3秒遅れて脳が認識しているんだそうです。
なので、0.3秒の壁を超え、他人よりも早く認識できるようになり、本当の「今」に限りなく近づくことがポイントらしいです。
本当の今に、どうやって近づけるかは、自我意識を破綻させる事だそうです。
つまり、アホな顔になり、目の焦点を合わせず、ぼ〜っとして、にこっと笑うんだそうです。
え〜、こんな顔?
そうすると、「あしたのジョー」の矢吹丈の両手ぶらり戦法のように、無意識状態のうちにパンチが決まるのです。
「中今」が出来るようになると、オリンピックでは金メダルが取れるし、車を運転していても信号が全部青になり、スムーズに走れるんだそうです。
えー、皆んながあやしい目つきで運転してたら怖いんですけど。。
また、「中今」でいると、新幹線などで刃物を持った人からは見えなくなるので、刺されないんだそうです。
そんな緊迫した時に、ぼ〜っとした顔が出来るか、自信がありませんが。。
また、スクランブル交差点で、日本人はぶつからないで渡れるそうですが、虫の音を雑音にしか聴こえない外国人には怖くて渡れないんだそうです。
ホンマかいな。
日本画は、元々ろうそくのゆらめく灯りで観るものだそうで、外国生まれの油絵とは違う趣きがあります。
このように永い間、縄文人をやって来た日本人は、物理的な「今」に接しやすい生き方をしてきたようです。
中今の時は、時間が早く感じられ、大自然の元で自然な生き方をしていると、良い事づくめらしいです。
また、保江さんは馬に乗ることをお勧めしていました。
それも、普通に乗るのではなく、あぶみに足を乗せずに、両手も手綱を持たずブラブラさせたまま。
馬が人間を自分の一部とみなすような乗り方。まさにそれは人馬一体。
そんな状態で馬に揺られるのは、とても良い影響を受けるんだそうです。
う〜む、馬に乗りたくなってきた。。
雲をぼんやり眺めたり、雨が雨粒に見えるまで見続けたりと、一見無駄なことのように思える行動が、「中今」に生きる為の準備になるそうです。
1万2千年前から、縄文人は「中今」に生きて来ました。
平安・平穏で楽しい「中今」で生きていれば、神さまがちゃんと裏で導いて下さるそうです。
「中今」を生きることの素晴らしさは、何となく分かりました。
あとは、どうやって「中今」になれるか、です。
毎回笑ってしまうのですが、保江さんの、あのぼ〜っとしたお顔に学ばなければと思いました。
こちらは保江さんの普通のお顔です⬇︎