それについては、三度も臨死体験をされた彗星探索家の木内鶴彦さんの著書から、簡単にまとめさせて頂きます。
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◆信長は生きてイタリアで修道士になっていた!?
木内さんは、臨死体験中、信長が死んだと言われている本能寺の変から5日後くらいに現場に行ってみる事にしたそうです。
過去に飛んだ所は、福井県の小浜でした。
すると、りりしい格好の良い男が向こうからやって来て、「光秀、何をしていた!」と言ったそうです。
本能寺の変より3ヶ月ほど前に、信長は少年使節団のようなもので長男を出航させ引率をやらせていたのも見えて来ました。
さらに、信長とおぼしき人は「日本の天下取りはつまらぬ。私はこれから世界へ行く。バチカンに行く。」と話していたそうです。
◆明智光秀も一緒にイタリアへ渡っていた!?
明智光秀と言えば、織田信長の重臣の一人で、本能寺の変を起こし信長を自害させたという事になっております。
しかし、本能寺の変の最大の謎は、光秀が信長を討った明確な動機が見当たらない点にあるのです。
なので、光秀は死なずに南光坊天海になったという異説まであります。
けれど、木内さんは天海説は否定しており、バチカンで亡くなっているとしています。
木内さんと対談されている長典男さんも、最澄が嵯峨天皇から預かったとされる秘宝を持って信長らはバチカンに行ったと言っています。
秘宝を手に入れるのが比叡山の焼き討ちの目的のひとつだったようです。
さらに、日本は狭くこれからの相手は世界だと「世界制覇」の野望を抱いたことと、次第に神のように振る舞い始めた影武者の始末のために、本能寺の変は信長が計画した事だと言います。
信頼のおける後継者として信長が選んだのが、徳川家康だったそうです。
ところが、この計画を台無しにしたのが豊臣秀吉で、信長の影武者を逃すふりをして殺してしまったのが秀吉の配下の者だったそうです。
そればかりか、秀吉らは家康をも亡き者にしようとしていたそうです。
ちなみに、第六天魔王・波旬を名乗っていた影武者を、そのまま葬るのでは心配だという事で、高野山に運び封印したそうです。
今は、そこは信長の墓となっていますが、中は空っぽのようです。
木内さんには、信長ら3人はバチカンに行ったけれど、最終的には法王にはなれず枢機卿か何か止まりだったと言うことまで見えていたようです。
★★★<まとめ終わり>★★★
木内さんのお話は、これで終わりではなく現在、さらに深い所まで掘り下げて解明しようとされているようです。
同じく臨死体験をされた中山康直さんも、織田信長について同じビジョンを見ているのがとても興味深いところです。
確か、飛鳥さんもそんな事言ってたような。。
歴史の謎って面白いですね。
過去のことは誰にも分からないし、歴史書通りではないでしょうから本当の事が知りたくなります。
木内さんが、臨死体験で見て来たものにご興味のある方は、是非これらのシリーズをお読みになって下さいね。
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