昨夜、映画「パイレーツオブカリビアン」を録画しようとテレビをつけたら、ちょうど「金スマ」が始まった所でした。
そこには、一青窈さんが出演されていて「ハナミズキ誕生秘話」がテーマになっていました。
私は、以前にハナミズキの歌詞を自分なりに解釈した記事を書いており↓
9.11 「ハナミズキ」一青窈さんの想い
その記事に毎日多くのアクセスがある為、本人の口からその歌詞についての説明があって私の解釈が全然違っていたらどうしようと思い、番組を観てみることにしました。
「ハナミズキ」は、恋愛の歌ではなく、一青窈さんが9.11の後に「一人一人が自分の好きな人のずっと先の人の幸せを願うことで、怒りの連鎖は止められるのではないか」と思って作ったものだと私は理解しています。
「金スマ」の番組を観ていたら、一青窈さんのお父様は台湾の方で、仕事の為に窈さんらと離れて母国で暮らしていた事を知りました。
一青(ひとと)という名は、日本人のお母様の苗字のようです。
お父様に会いたくて毎日手紙を書いていた窈さんは、ある日お父様が帰ってきたことに歓喜します。
体調が悪くて戻って来たことを幼い姉妹は知る由もありません。
その後、病院の検査で医師から「肺ガンで余命は1年ももたない」と妻・かづ枝さんにだけ宣告されました。
しかし、その当時はまだ本人への告知は一般的ではありませんでした。
夫の兄弟らと話し合った結果、ガンだと知ったら自殺しかねないという懸念から、本人には黙っている事になりました。
夫にも、子供らにも誰にも言えない悲しみをかづ枝さんは、ひとり抱えることになるのです。
ただ、一青窈さんの姉・妙さんだけは、母の変化にめざとく気づき、肺がんを宣告した医師の話を録音したテープを聴いてしまっていました。
笑顔で振舞っていても、妻であり母であるかづ枝さんの「悲しみ」は、知らず知らずのうちに、滲み出ていたのでしょう。
妙さんが気づくくらいですから、当然夫も何か変だと感づいていたのではないかと思われます。
夫の為と決断したその隠し事が、夫婦の間に溝を作っていきました。
夫が自分とだけ全く口をきいてくれなくなってしまったのです。お互い何か告げる時は子供経由。
入院する事になった時も、お弁当を持参しても全く手をつけようとしない夫の姿をみて、かづ枝さんはある事を考えます。
病院食が夫の病室に配膳される前に、自分が作ってきた料理と置き換えさせてもらったのです。
これが、妻・かづ枝さんが夫に間接的に触れられる精一杯の愛でした。
こんな風に夫と口をきかない生活が一年も続いていました。
ガンセンターから退院出来たその日も、夫はかづ枝さんの手料理を食べようともせず、子供たちを誘って外にお寿司を食べに出かけていくのでした。
かづ枝さんをひとり残して。。
そんな淋しさを打ち明ける事が出来たのは、日記の中だけでした。
やがて、夫・恵民さんが再び入院する事になりました。その頃はかなり容態も悪化していたのです。
病室に訪ねてきた恵民さんの兄弟が、ふたりの様子に気づきます。
恵民さんは、兄弟に「自分たちは夫婦喧嘩をしているわけではない。けれど妻が自分を騙し続けたことが許せない。」と告げるのでした。
みかねた兄弟は「告知しなかったのは皆んなで決めた事だ。かづ枝さんが悪いのではない。」とやっと本当の事を話しました。
翌日、恵民さんは「君だけには事実を言ってもらいたかった」とかづ枝さんに告げます。
そして「手を握ってくれないか。」と。。
ようやく夫からかけてもらった温かい言葉に、かづ枝さんは、後ろを向いたまま30分も泣き続けたと言います。
やっとお互いの愛が確かめられたと言うのに、夫婦の時間は残されていませんでした。
それからわずか1ヶ月後。お別れの時がやって来ました。
姉妹もかけつけた父との最期の時、母は子供たちに「お願い、お父さんと二人だけにさせて。」と告げるのでした。
窈さん姉妹も、お母さんの気持ちはよく分かるから、自分たちも看取りたい気持ちをぐっとこらえ、お父さんの最期の瞬間をお母さんに独占させてあげたのでした。
それが、一青窈さんの8歳の時のことでした。
お父さんが亡くなった後、母かづ枝さんはパート勤めをしながら、明るく姉妹を育ててくれたのですが、そのかづ枝さんにも病魔が襲います。
かづ枝さんの胃ガンが発覚したのです。かづ枝さんはまだ46歳でした。
窈さんは、中学卒業を間近に控えた頃であり、多感な時に影響を与えてはいけないと思い、母は姉の妙さんにだけ病名を告げました。
窈さんには、胃潰瘍と偽り胃の全摘手術をする事にしたのです。
しかし、手術から2年後の1993年、体調悪化の為に検査をすると、ガンが転移している事が分かりました。
かづ枝さんは、姉妹に心配させまいと身体じゅうに転移が広がるまで、なに食わぬ顔で生活していたのです。
病状のひどさは、検査結果を見た医師が絶句したほどでした。
かづ枝さんが入院することになって初めて窈さんは、姉から母の病状悪化を知らされます。
そして、いよいよかづ枝さんが危篤状態となり、姉から母がガンだと告げられたのは、母が亡くなる12時間前の事でした。
姉妹を残し、母は旅立ちました。
かづ枝さん48歳、一青窈さん16歳の時でした。
実は、一青窈さんは父親と母親が亡くなった経緯を、番組で初めて詳細に知ったようなのです。
それと言うのも、姉の妙さんが母の遺品を整理していた時に「赤い箱」を見つけ、その中から母の日記が出てきて初めて父のことや母の想いがだんだん分かってきたのです。
この番組は、両親のことや姉の想いを知るよいキッカケになった事でしょう。ずっと涙が止まらないようでした。
妙さんはずっと、窈さんに母のガンを隠していた事を申し訳ないと思って過ごして来ました。きっと自分のことを恨んでいるだろうなと。
しかし考えてみれば、自分が妹にした事は、母が自分たちにした隠し事と同じ想いからやった事なのでした。
それは、大切な人を守るため。。
一青窈さんももちろん、お姉さんの事もお母さんの事も恨んではいないと語りました。
結局は、みんな末っ子の自分を守る為にした事だと、誰よりも一番愛をもらったのは自分だと窈さんは分かっていたからです。
一青窈さんは現在妊娠7ヶ月。
『君と好きな人が百年続きますように』
この言葉は、まさに天国のご両親からのメッセージでもあったのでした。
素晴らしいご両親をお持ちの一青窈さん、末長くお幸せに。
ステキなお話を知ることが出来て、たまたまチャンネルを合わせた偶然に感謝いたします。
もしも、この番組の動画を見つけたら絶対にご覧になってくださいね。
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