高倉健さん、知られざる過去 | misaのブログ

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10日にお亡くなりになった高倉健さんは、私生活をほとんど出さない方でした。

しかし、昨日放送の「モーニングバード」で、健さんの意外な姿を目の当たりにしたのです。

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そこには、江利チエミさんとの結婚式で見せた健さんの笑顔がありました。

新婚時代は、というかチエミさんと居る時は、こんなにも屈託なく普通に笑う人だったのですね。

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寡黙という言葉がぴったりの健さんのプライベートな部分は、本当に謎に包まれています。

役作りもあるでしょうが、人前に素顔を見せなくなった理由の一つに、江利チエミさんとの事があったのかも知れないと感じてしまいました。

お二人が結婚したキッカケは、健さんの猛アタックだったようです。

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その頃、健さんは駆け出しの映画俳優で、江利チエミさんの方は既にトップスターの座にありました。

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当初家族は二人の結婚に猛反対でしたが、何度断っても交際を求め続ける健さんの根性に、チエミさんのお父さんもついに根負けしたのだそうです。

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結婚式を挙げたのは、昭和34年2月16日で、その日は健さんの誕生日でもありました。

やがて、健さんも主演映画がヒットし、夫婦揃ってスター街道を登りつめて行くはずでした。。。

ところが、結婚から10年が過ぎようとする中、思いも寄らぬ事件に巻き込まれていくのです。

ある日チエミさんの元に、見知らぬ女性が訪ねて来ます。

その女性は、異父姉妹の姉だと名乗りました。

彼女と家族として同居し、信頼関係も出来上がった頃、彼女に貯金通帳と実印まで預けるようになりました。

ところが、その女性は2億円近い財産を騙し取って失そう。チエミさんは莫大な借金を背負うことになるのです。

おそらく、同じ姉妹なのに、何故こうも違うのかと、姉は自分の不幸な境遇からチエミさんの事を妬んでいたものと思われます。

「ダーリンと別れようと思ってる。借金は私が全部背負います。」

離婚話を切り出したのは、チエミさんの方からでした。

昭和46年(1971)の事でした。

しかし、ほどなくしてチエミさんは離婚した事を後悔します。

そして、母親のように慕う清川虹子さんに健さんとの復縁を相談しました。

「別れたくない。私が悪かった。」

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「ダーリンに謝りたいから、捜して。。」

そう言ったのだそうです。

そして、チエミさんは健さんと再会を果たします。

「別れたくない!」と手をついて健さんに頼んだというのです。

しかし、健さんは「分かったけど、互いに記者発表までしたんだから、もう少し時をあけてから、また一緒になろう。」そう答えたそうです。

その後、チエミさんは借金を返すべく、どんな小さな仕事でも、どんなに嫌な仕事でも全て引き受けたといいます。

そして1980年のデビュー30周年を迎えた頃には、ようやく借金もなくなりました。

やっと権利書が返ってきたと、これからは自分の気に入った仕事だけが出来るとものすごく喜んでいたそうです。

これでやっと健さんの胸に飛び込んでいける、と思ったのではないでしょうか。

しかし、またもや悲劇はチエミさんを襲うのです。

ある晩、お酒に酔って寝てしまったチエミさんは、脳卒中を起こし嘔吐物を気管に詰まらせ窒息死してしまうのです。

1982年2月13日、チエミさん45歳のことでした。

告別式は2月16日。

そう、その日は健さんの誕生日でもあり、二人の結婚記念日の日だったのです。

参列者の中に健さんの姿はありませんでしたが、健さんは密かにちゃんと来ていたそうです。

自分の車の中で手を合わせ、チエミさんとのお別れに人知れず男泣きしていた事でしょう。

またいつか一緒になれる、その二人の願いは永遠に叶わぬものとなってしまいました。

映画「鉄道員(ぽっぽや)」の劇中で、健さんが口ずさんでいた曲は、チエミさんの「テネシーワルツ」でした。

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チエミさんのお仏壇には、健さんからの御線香が置かれていました。

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30年間欠かす事なく、毎年命日になると健さんから送られてきたのだそうです。

自分の誕生日が巡ってくる頃に、健さんは毎年何を思い出していたのでしょうか。

健さんが、離婚後ずっと独身を貫いてきたのは、「また一緒になろう」というチエミさんとの約束を果たす為だったのではないかと、私には思えてなりません。

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自分が、あの時、再婚を先延ばしにしなければ良かったと後悔して、チエミさんに義理立てしていたのかも知れません。

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健さんのご自宅から歩いてすぐの場所に、チエミさんのお墓があるそうです。

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そして、その墓地にはテネシーワルツの歌碑があり、その像は健さんのご自宅の方向をむいて立っているのだそうです。

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健さんがご自分で言う「不器用な男」は、生涯ひとりの女性だけを愛して生きて来たのかも知れません。

やっと一緒になれたね。。。

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