8月11日19時、岩手、宮城、福島の東北3県に設置された太平洋岸10ヶ所の会場でいっせいに、追悼と復興への願いを込めた花火が打ち上げられました。
「花火で東北を、日本を元気にするんだ!」と言うこの壮大なプロジェクト「LIGHT UP NIPPON」はひとりの若者の思いから始まりました。
都内会社員の高田佳岳さん(34)です。
もちろんここまで来るには大変なご苦労があったようです。
高田さんは、大学院の2年間を岩手県の大槻町で過ごしました。
4月9日に大槻町に入った高田さんは、その惨状に心を痛めました。
そして「自分に出来ることって何だろう」とずっと考えていたのです。
その時、たまたま東京湾の花火大会が中止になったニュースを見て、その使われなかった花火はどうなるんだろうと思いついたのが始まりでした。
すぐさま高田さんは花火師の所にかけ込み、花火は余っている事を知りました。
花火は本来、「慰霊の意味」を込めて始まったものだそうです。
「東北の為に花火を打ち上げたい」そう思った高田さんは、協力者を得るために被災地を巡りました。
しかし、それは容易な話ではなかったのです。
「被災者からみるとイベントの話は不謹慎に思われるだろうし、まだまだ我々としては話題にするのは厳しい」と釜石市の住民から言われました。
津波で亡くなった方の遺族にとって、「海で花火をやるっていうのは、感情的にどうか」という意見もありました。
「復興を盛り上げるという意味を、都会の人たちがひとり歩きをしているような感じがする」との意見もありました。
「まだ祭どころじゃない」
その頃は、被災地の方が、まだ立ち上がるどころか、起き上がれもしない状態だったのだと思います。
高田さんはそれでも諦めず、自費で毎週被災地に通い、説得をして回ると共に、企業からの協賛金や寄付の募集を行い、花火大会の資金集めを開始しました。
「あとは被災地の方たちからやろうって言っていただければ…」
そしてついに大槻町で賛同者を見つけました。
それからは次々に各地に協力者が現れ出したのです。
「今被災地で一番大事なのは、日常をどう取り戻すかという事。
花火というものが、ひとつのきっかけとなって明るい雰囲気になってくれれば」と賛同者の方は話していました。
花火大会当日、高田さんは「万人を満足させる事は僕にはできないけれども、一人でも二人でも喜んでくれる人たちがいるんであれば、その人たちの喜んでくれる顔を見るためにやれる…」と準備を見守っていました。
「東北を花火で明るくするんだ」との思いで走り続けた5ヶ月間でした。
今まで誰かのために何かをやった事はなかったと語る高田さんは、最初の花火が上がった瞬間、とても嬉しそうでした。
そして花火を見上げる方たちの目には、それぞれ光るものがありました。
たくさんの方が、様々な思いで花火を見つめた事でしょう。
それだけで胸がいっぱいになります。
東北の花火は、被災地の方々に明日に踏み出す一歩への後押しになったのではないでしょうか。
被災者の方が、花火を見られるまでになった事に、私たちも希望をいただきました。
素晴らしいプロジェクトでした。ありがとうございました。
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