今日は移住前の私、最後のお話です。
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私達が一緒になるには、選択肢は一つしかなかった。
ボーには日本移住の意思がなく、つまりは私がスウェーデンへ移住するほかなかったのだ。
これについては移住前も移住後もかなり口論になったが、
その話はまた別の機会にしたいと思う。
さて、当初の移住予定は2013年の年明けだった。
それまでの間にバイトでできるだけお金を貯めて、
2013年は家族と最後の年明けをし、そしてちょっとしてから移住する…という計画であったが、
どうしてだか2012年6月頃の移住話が持ち上がった。
移住を早めるか早めないかで悩んでいた私に母は言った。
「遅かれ早かれ移住するなら、早い方がいいでしょ」
その言葉に背中を押されて、移住を早めることを決断した。
初めてのクリスマスをスウェーデンで過ごしたあと、年越しは日本で家族と過ごした。
その後サンボビザを申請。
当時は今のようにそこまで時間がかからず、
それでも半年くらいは覚悟していたのだが、
2カ月もしないうちに取れたのには私もビックリした。
ビザが取れ、ボーの来日も決まり、そして移住日も決まった。
それまでちょっと夢物語のような気がしていた移住が、一気に現実味が帯びてきた。
それと同時に、家族と離れる寂しさから私の心は更に不安定になった。
つまらないことでボーにつっかかったりもして、
とにかく常に苛々、モヤモヤ、シクシクと泣いていた。
こんな状態が続くのも嫌で、とにかくどうにかして現状を変えたかった私。
そして取った行動が…
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髪をバッサリ、ショートカットに
まるで失恋した少女のように笑
学生時代はずっとショートで、社会人になる前くらいからロングにした私。
オーストラリアから帰ってきて、髪がかなり傷んでいたのでショートにしたかったのだが、
ボーがロングヘアーが好きだったので、とりあえず頑張ってロングをキープしていた。
しかし、移住のモヤモヤから抜け出したかったのと、
ボーの為にロングでいる自分が馬鹿らしくなって(←え?笑)、
もうこの際だから切っちまえ!!
と、思い切ってショートにした。
これが正解で、なんとなく良い気分転換になった。
が、それも長くは続かなかった
しばらくするとまたもや寂しさと不安が襲ってきた。
家族と離れる寂しさ、自分の居場所がなくなってしまうんじゃないかという不安。
そんな不安を私は母に吐き出していた。
「移住するのやめようかな。
みんなと離れるのすごく寂しい…。
スウェーデンにいても、ここが私の居場所だって思えなくて、
更に日本での私の居場所もなくなっちゃったらどうしよう…不安。」
母は私の背中をたたきながらこう言った。
「大丈夫!
一生ものだと考えないで、とりあえず行ってみなさいな!
無理なら戻ってくればいいのよ!
安心して、あなたの帰る場所はちゃんとここにあるんだから」
私の帰る場所はここ(実家)にある。
その一言が私をとっても安心させてくれた。
母はいつも私の背中を押してくれていて、
私は母の言葉を聞いては安心し、そして前を向けていた。
季節は流れ、2012年6月17日。
いよいよ移住の日である。
成田空港へは車で行き、父、母、姉がついてきてくれた。
(5月半ばに来日したボーも勿論一緒)
チェックインを済ませ、最後の朝食を家族と食べた。
さぁ、いよいよ出発ゲートへ向かわなければいけない。
涙がボロボロと出てくる。
そして、出発ゲート前に到着。
「じゃあ、本当にありがとうね」
という私に、母は私の手を取ってこう言った。
この時の母の顔を私は忘れられない。
初めて、母の本音を聞いた。
ずっと笑顔で
「大丈夫よ~。」
と言ってくれた母。
たま~に涙目にはなっていたけど、それでも、
「がんばんなさい!」
と背中を押し続けてくれた母。
そんな母が、言葉にできないほどの切ない顔で私の手を取って引きとめていた。
そうだよね、これが本音だよね…。
自分の子供と離れるのが平気なわけないよね。
それでも自分が寂しい気持ちを抑え、私の背中をずっと押し続けてくれたんだね。
この時母の偉大さをすごく感じた。
そして、母は私を抱きしめこう言った。
そんな母の言葉に私は、
と、ただ頷くことしかできなかった。
(あ~、思い出しただけでも泣ける!!笑)
大好きな母、姉、父と、離れがたいが離れなければいけない時が来た。
出発ゲートに入り、荷物チェックをしている最中も、
何度も振り返り、そして手を振り続けた。
荷物検査が終わり、もう先に進まなければいけなくなっても、
離れがたかった私は、小さくなった3人の姿を見てしばらくその場にとどまり手を振り続けた。
でも、もう本当に行かなければ飛行機に乗り遅れてしまう。
行くね!
というジェスチャーをし、後ろ髪を引かれる想いであったが、
えいっと振り返り、そして先へと進んだ。
あ~、本当にお別れしちゃったんだ。
と、人目もはばからず私は泣き出した。
寂しくて、悲しくて、辛くて、声を押し殺そうとしてもおもわず声がでてしまう。
そんな私の肩を抱きボーは心配そうに見つめ、そして慰めてくれた。
そしてこう言った。
これにまぁ私はカチンと来てしまって、
と憎しみを込めて言い放ったという…
日本移住の選択の余地さえ与えてくれなかったくせに!
私を家族から引き離した張本人のくせに!!
そんなあんたに、すぐ会えるから、とか、
そんな気休めの言葉なんて言われたくないよ!!
この時の私は、家族と離れる辛さでいっぱいで、
ボーがどんな気持ちでいたのかとか、考える余裕がなかった。
でも、覚えているのは、その後の、
ボーのなんとも言えない切ない表情だった。
ボーちゃん、初めての日本。
SHINKANSENと一緒に。
京都、東福寺のお庭。
好きです
奈良。
ボーちゃん、初めて鹿煎餅をあげる。
がめつい鹿にタジタジ。
これは関東のどっかのラーメン屋さん。
フォークで食べるの図。
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移住前も移住後も、母の言葉に何度救われたことか…
でも、この時は特に母の偉大さを感じました。
ずっと自分の気持ちを隠して応援し続けてくれたんだなぁ…って。
ボーちゃんが日本に初めて来たのは2012年5月半ばでした。
移住前にまず私の両親に挨拶、そして私のお迎えの為の来日でした。
両親はボーちゃんとスカイプで話したことはあるにせよ、それまで一度も会ったことがなく、
それでも移住することを賛成してくれて本当有り難いなと思います。
正直会うまではすごく不安だったらしいです。
当たり前ですよね
一応彼の人柄を見て安心はしてくれたようで、
その後も色々と連れて行ってくれました
京都、奈良、大阪へは二人だけで旅行したのですが、
その時も、もうすぐ移住するという不安からボーちゃんに八つ当たりし、
せっかくの旅行だというのに喧嘩ばかりしていました
そして空港で、ボーちゃんへ言い放ってしまったあの言葉。
そして彼の切なそうな顔。
これもある意味忘れられません
移住後すぐに母と姉とチャットした時に、
ボーちゃんは空港で母と別れのハグをした際、
「ろびまろを幸せにします。
ちゃんとサポートします。」
と言っていたそうな…
そんな風に言ってくれたのに私ときたらあんな暴言を…。
でもその時はそれでも、ボーちゃんのせいだし!っていう気持ちの方が大きかったです。
酷いこと言ってしまったな~と今では申し訳ない気持ちになりますが、
まだ謝ったことがありません。
ボーちゃんは覚えているかな~。
忘れっぽい人だから覚えてないかもな~。
でも、いつか機会があったら、あのときはごめんね、と言いたいな~と思います
さて、これから移住後の私の話になりますが、
ここから更に私の精神状態は不安定になっていきます
自分でも引くくらいなので、きっと皆さんも引かれることでしょう
あんまり覚えていないこともありますが、とりあえず覚えている限り綴っていきたいと思います。
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さてここでちょっと和みそうな?、イースターの色んな飾りの写真を少し。
ボーちゃんが作ったシュリンプケーキ。
料理は本当は土曜日のランチになるはずだったのが、訳あって金曜日のディナーになりました。
年代物のイースターエッグにたっくさん入っていました。
イースターの飾り、羽と卵と鶏。
義祖母からもらったキャンディー。
ほぼ、私の嫌いなリコリスグミ。
私は食べられません
番外編。
let's dealというアプリで、ハーゲンダッツのセールがやってますよ!
画像はlet's dealより拝借。
私達はもちのろんで購入しました
クッキードーチップ味をゲットだぜ
やはりハーゲンダッツは美味しいですね