タイトルの通り、最初に大腸癌を宣告された時はそう思いました。
冷静に考えてみれば、祖母も父の兄弟にも癌を患った人が多く、癌家系なのでした。
市の健康診断には毎年行っているし、父も健康そのものだし大丈夫だろうと、家族のみんな、意識せずにそう思っていたと思います。(自治の健康診断より、医療機関が行っている健康診断の方が確実です。)
最近便の出が悪い、疲れやすくなった、だるい
などと、父が訴えていたのは9月の下旬。
ただの風邪でも、50も半ばの父。
こじらせてはまずいと母が病院に行くように言ったところ、風邪とは少し違う症状が見られたみたいで、9月の最終週から10月の4日にかけて検査が行われました。
5日の夜、母は重い表情で、私に1枚の紙を見せてくれました。
医師の書いた報告書です。
H3大腸癌。
ステージはまだ低く、摘出手術が可能。
低いってことはステージ1か2なのかなー、なら摘出手術で大丈夫かーw
などと思っていました。
H3というのがよく分からなかったので調べてみると、H3とは、腸の片側あるいは両側に5つ以上の癌が見られるということだそうです。
5つ以上・・・?本当にステージが低いの・・・?早く手術した方がいいんじゃないの・・・?
と言いつつも、医者の診断が的確であることを疑えるほどの知識はありませんでした。
10月8日、手術当日。
父が入院して初めて来院しました。
父は点滴で薬を打たれ、まるで別人のような父を見てとても衝撃を受けました。
それでもまともに喋っていたので、少し安心しましたが。
摘出手術で、麻酔から目が覚めても面会は翌日以降になるということで、家に誰もいないと困るかなと思い、その日は家にいることにしました。
手術が終わって翌日、大学の卒業論文の研究があるということで大学に行き、午後は卒業論文を書いていました。
私以外の家族は揃って父の入院の見舞いに行きましたが、夕方頃、全員が暗い表情で帰ってきました。
私「どうしたのーん?w手術は上手く行ったんでしょ^^」
すると母は半泣き状態で
「手術はね・・・。」
と含みのある返しをしてきました。
「なんでもない・・・。」
と長女の妹。
しかしその日の夜、いつも通り暢気にオンラインゲームをしている私にすごい剣幕で母が
「話がある、こっちに来て。」
と言いました。
いつもであれば「後でーw」なんて笑い飛ばすのですが、その時の表情は、まるで人生の重大発表をするかのごとく、重々しい雰囲気だったので、さすがに行かなきゃまずいかと思い、居間に行くと・・・。
家族全員がうつむいて私を待っていました。
私が座るやいなや、
母「お父さんの癌が肝臓に転移しているんだって。余命は・・・。」
母が泣き出しました。肝っ玉かーちゃんと言っても過言ではないくらい気の強い母が、泣くとは思いませんでした。
母「よ・・・めい・・・は・・・もって・・・来年の・・・夏までだってぇぇぇぇぇぇ!うーううううううう!!」
文字じゃ何とも表現し辛いですが、泣き崩れながら、それでも頑張って母は私に父のことを報告しました。
母「何とかしたいと思ってるんだけどさ。あの病院じゃもうどうにもならないんだって。外科手術も放射線もダメだって。抗がん剤も効果があるか分からないし・・・。ねぇ、どうすればいいかな?」
母はパソコンがてんでダメです。
インターネットもおぼつかない手つきだったので、長女の妹と私とで、父に効果的な治療法がないか探してみることにしました。
その治療法については、次回の日記で書くことにします。
今回はこの辺にしておきます。
今日は余力があれば、あと2つ日記を書きたいと思っています。
ではまた次回。
