July 26 Petropavlovsk Kamchatka
久しぶりの素晴らしい快晴である。時差の関係で6時だが、実は7時なので、デッキを一周して、対岸のコニーデの写真を撮ったりする
Visaなしではツアーでのみ上陸できるので、午前中はCrow’s Nestで景色をみながら過ごす。
Lunchの後、一応防寒着をもって上陸。ロシア官憲の入国手続きはパスポート写真と顔を見比べるだけ。予定通り2時出発し、まずはForklore Museumへ。写真イラストが主であるが、トナカイの皮の衣装は着てもよいとのことで、数人が着て、写真を撮っていた。カムチャッカ半島の南の端にはアイヌが住んでいたという話。大国屋光太夫の記事もあった。次にpanorama viewのトライブ。途中で町のある半島の中の雪のある山々もちらっと見えたが、目的は対岸のコニーデの山。クマ3匹を飾った記念写真屋は上半身裸であった。
グルと回って中心部のPeterとPaulの像のある湖の傍の広場へ行く。結婚式の記念撮影に来ている家族と一緒になる。
広場から金のドームが見えているカテドラルまでまたぐるぐる回って到着する。ソ連時代に教会はつぶされ、先住民はキリスト教徒でなかったので、1990年代まで教会はなかったそうだ。玉ねぎ型のドームの建築はともかく、内部のイコンなどどこから職人を連れてきたのか?素晴らしいのは対岸の火山群がみられること。
ここでもTacの見当識障害発生。トイレの場所をガイドに聞きに行っている間行方不明に。バスに戻ってもいない。境内に戻るとフラフラ歩いている。どこへ行ったか聞くとトイレに行ったがカギがかかっていて入れなかったという。それは教会の真下のもので、私も気が付いた。そのあとのびっくり。ここへは前に来ているから場所を知っていたという。カムチャッカなど初めてでしょうとなんど行っても、来たことがあると強弁する。
町をまた通過。レーニン広場は説明もしない。次いで市場へ。魚マーケットをガイドは強調していたが、モールであり、市民のための店が多いようである。集合5時5分に遅れてくる人数名。5時半のall aboardに間に合うかと心配していたら、途中でクリミア戦争の犠牲者(ロシア、フランス、」ギリス)のメモリアルチャペルにも寄る。
5時半ギリギリにターミナルに到着する。ロシア官憲はいなくて、船の係員にパスポートを渡すだけなので列はない。
ダイニングルームに6時少し過ぎ行くと割と空いていて、6人テーブルに着くが後の4人集まるまで、少し時間が掛る。今はカリフォルニアに住むカップル。ミシガンからの一人旅の男性と前に一緒になったイギリス人でオーストラリアに住む女性と相席。
みんなワインを飲む人で久しぶりにリラックスできるディナー。
July 27 Seaday
カムチャッカ半島に沿って南下中。昨日と打って変わってどんよりした曇り空。
Tacは朝食で初めのeggs benedict が足りないとオムレツなどを取ってきたが食べきれない。北条高時シンドローム始まる。
午前中はまず、洗濯。洗濯機のスピンがまともでなく、ドライヤーハイで回したのに生乾き。キャビンにつるす。
昼食でも2度目を取りに行き、メイン2つ分も持って帰ってくる。
午後も特に行きたいレクチャーなどない。
夕食はニュージーランドとボストン在住のイギリス人とボンベイ出身のインド人の夫婦と相席。イギリス人「今はこんにちはじゃないのでどういうの」と尋ねてきて、日本語の発音を教える。出かける前から勉強していたとのことで結構よくできる。午後の「日本の歴史」へ行ったかと聞かれたので、「日本がdynastyから近代化した」という説明から、これはダメと思っていかなかった。講師はChinese、ノートが取ってあり、最初のdynastyはYAMATO次いでShotokuというので、Dynastyというのは中国の考え方で日本では時代はあるが、dynastyとして認識しないと説明(もちろん継体天皇になるまではdynastyの変更は多分2回あったのだが、そこから近代化にはつながらない)聖徳太子は天皇ではなく、推古女帝の太子で実際の政治を行ったことなども話す。
エンターテイメントはイギリス人のギターリスト。クラシック独奏が多く、よかった。
次いでGloetaによるヒトデとナマコの話。途中で寝てしまった。インドネシアクルーのショウではラーマーヤナをするので興味はあったが、11まで起きて居られないのであきらめた