この間の話の日から何度も転ぶのでナースステーションから一番近い部屋に移された。

光りも入らない陰気臭い部屋…

とりあえず、痛み止めのみで治療はなし。

金曜日は仕事で行けない、

土曜日に行くと1日見ないだけで物凄く弱っていた。

兄からどうや?てLINEがきた

もう近いな。と返信した。

あと2、3日だろな。と

やたら落ちついてる自分に驚いた。

日曜日、さらに弱って鼻から酸素吸入をしているが。

これを嫌がって、嫌がって外してしまう。

もう危ないから坊っちゃん見ていた相方にも顔出してきい。と夕方入れ替わりで病室に行かせた。

意識はハッキリしている、相方には愛想笑いできるくらいしっかりしていた。

本当にこの一週間で一気に弱った。

痛みがとにかく酷い。

面会時間は20時まで

20時半くらいに看護士さんが今夜が危ないです。と

痛みに耐えれないようなら薬で眠りに落としますと。

母は受け止めれないのか?現実逃避なのか?

今夜は帰って明日また来ます。と

良いのか?

帰ってしまって良いのか?

もう意識のある父は今が最後かもだよ?と思いながら

母がお父さん、また明日の朝くるから待っててね!と言うと軽くうなずいた。ような気が。

帰ると言うので送った。

大阪に帰ったら22時半過ぎ。

そこからご飯食べて

朝の5時、スマホに電話。

昏睡に入ったと。

土砂降りの雨の中、兄貴が迎えにきてくれた。

チビは寝たまま移動。

6時前に京都の病院に着きチビ抱っこしたまま危篤です。と走って行ったら普通に入れてくれた。

病室に入ると酸素マスクした父に

母が父との想い出の歌を唄っていた。

心拍もかなり弱く、体温も低い。

YouTubeで想い出の歌をエンドレスで流し母が体を撫でたりして温まってきたのか少しずつ上がってきた。

状態は変わらないままお昼12時。


1ヶ月以上待ちの京都の某神社の癌も治るという施術の予約が13時からだった。

私の場合は精神的なものからの理由。

そろそろ行ったら?と言われて用意しようとすると。

看護士さんが入ってきた。

そろそろ心臓止まります。と

そう言って出ていくと5分ほどで旅立った。


苦しむことなく眠ったまま旅立ちホッとした。


行っといでと言われて、神社に向かった。