公爵と侯爵になった家のうち、公家だったものについて。
公爵
近衛家
九条家
一条家
二条家
鷹司家
藤原北家嫡流。
藤原氏初代・鎌足の子、不比等の四人の子が、北家、南家、式家、京家の四家を創設する。貴族として生き残ったのは、このうち北家のみ。北家初代房前から15代目(道長は10代目)の兄弟が、近衛家、九条家を名乗る。近衛家から鷹司家が、九条家から一条家と二条家が分かれた。
一条家分家の醍醐家が、清華家→侯爵。二条家分家の富小路家が、堂上家→子爵に。近衛家のみ、維新後の分家が子爵となった。男爵の分家が、九条家に3、鷹司、二条、一条にぞれぞれ1ある。
奈良男爵に、松園家(九条分家)、水谷川家(近衛分家)。
功績によって公爵になったのは、三条家(太政大臣)、西園寺家(総理大臣)、徳大寺家(内大臣)、岩倉家(右大臣)の4家。
8代目師輔の子(道長の叔父)が始祖となるのが閑院流。そこから五代目の子供が、
三条家
西園寺家
徳大寺家
を創設。この3家は、本来は侯爵の家格だが、維新の功績で公爵に。男爵別家が、三条家に2、徳大寺家に1ある。
侯爵
花山院家
大炊御門家
は、北家12代目師実の子のうち二人が創設。また、別の子が創設した難波家は子爵になった。
中山家
は花山院支流で、家格は劣る(伯爵・子爵位)が、維新時の功績で侯爵に。
菊亭家
北家閑院流西園寺家から分かれた。
西園寺家7代目の子が創設したのが菊亭家。今は今出川姓を名乗っているとのこと。
嵯峨家
北家閑院流三条家支流。正親町三条家を名乗っていたが、明治になって嵯峨を名乗る。当初伯爵だったが、討幕派公家、刑部卿としての功績により、侯爵に。
醍醐家
北家一条家支流
久我家
村上源氏総本家。村上天皇の孫の孫が祖。男爵別家がある。
岩倉家
久我家17世の子が名乗った。本来は伯爵・子爵待遇だが、維新の功績で公爵に。
分家が三家(堂上家1、具視の子が2)ある。
広幡家
源氏。正親町天皇の孫・八条宮の子に始まる。八条宮は桂宮家の祖。
四条家
北家。房前の子・魚名から数えて13代目子孫に始まる。維新、大阪鎮台司令長官などの功績で侯爵に。
藤原秀郷も魚名流。
中御門家
北家4代目冬嗣の子に始まる、勧修寺家の分家。会計事務総督などの功で侯爵に。男爵別家がある。