1968年11月8日
午前1時、体育会系・右翼学生集団「関東軍」が芸術学部バリケードを襲撃する。人数は200(新聞発表)~400(芸闘委主張)。防衛に当たった泊り込み芸闘委は4,50人である。
元美術委員長U津がバリケードの外で暴れている酔っ払いを注意しようと路上に下りたところ、あっという間に囲まれて袋叩きに。見張り数名も同様に攻撃を受け、連行される。
中庭、大講堂テラス、映画学科スタジオや新校舎の屋根に敵。一階から二階まで侵入され、三階への階段での攻防戦が繰り広げられる。突破に備え、プロパンガスが流される。I淵はアジ放送を行う。
K原健一は理工学部の全共闘本部より車で向かう。法学部の援軍10人と合流。5人ずつで二組に分かれて近づくと、敵5,60人と、全裸で縛られた仲間数名に遭遇。逆上し、棒を振り回して突進したところ、敵は四散。美術のUは踏み切り近くに止めてあったマイクロバスの中でリンチを受け、かろうじて逃げ出す。K松原(文芸2)、窓から落ちて骨折。隣の練馬病院に運び込まれると、周りには大勢の襲撃学生が治療を受けていた。人数的には非常に不利であった。
夜も白んだ午前6時、全共闘応援部隊400が到着。外の襲撃部隊は逃げ出す。放送スタジオに80人、一階トイレに10人が立て籠もるも、降伏。逃げ遅れたものはそのまま袋叩きにされる。襲撃学生は縄や針金で縛られ、廊下や教室に連行される。
関東軍の武器は日本刀、鉄パイプ、ナイフ、チェーン、メリケンサック、角材、木刀、鉄クマデ、特注のタテなど。また、構成人員は日大の他、拓大、東海大、右翼団体皇道会などであった。捕らえられた学生に対するリンチが行われる。芸闘委は殆どが疲れ果て、実行したのは主に援軍部隊である。
取調べ(尋問ではなく拷問)の結果、襲撃部隊は江古田の日大柔道部合宿所に集合、その際学生課職員N山が同席していたこと、また首謀者がI島勇というプロの右翼であることが判明する。芸術学部の体育会では、K賀隆助(日大本部柔道部主将)、M吉松博(日大本部テニス部)、H野諦寛(芸術学部運動部代表)らが関与していた。I島や、空手部の主将であったT中が特に酷いリンチを受けた。
午前9時、機動隊が包囲し、M浦学監が警告をする中、襲撃部隊は釈放される。双方のけが人は合わせて100人以上で、テレビのニュースでも放送された。しかしこの後、大学当局はこの事件には一切関っていないと報告する。
2022年追記
襲撃側も9人が逮捕され、上記の5人と飯島の部下のO地宗武の6人が起訴される。本部柔道部の古賀は警視庁への就職が決まっていたが、逮捕で取り消しとなった。