5月31日、文理学部で全共闘大集会。
全理事退陣
経理全面公開
集会の自由の承認
不当処分の撤回
検閲制度撤廃
の5大スローガンが採択される。
このデモに、日芸生50人が参加。映画2年のM武善行、文芸2年・ビラグループのK田、自治会長T橋(芸闘委を代表する)らが参加。彼らはこの時点で、政治方針を異にしていた。芸術学部としては意気が上がらなかったところに登場したのが、当時映画製作業だった、K原健一である。羽田闘争、佐世保闘争での火傷が治りかけたばかりだった。このグループの他に、100人が参加していた。
6月4日
5月31日の集会後、学生内でも自治会を批判するビラが撒かれ、M武はこの反自治会派を中心として、150人を結集しようと試みたのだが・・・。学部での総決起というスケジュールに基づき、M武は日芸生を結集し、決起集会を開こうとするも、参加者は3人。一人は友人、もう一人が演劇3年のM上司。M武、中庭にて演説。学生は、「可哀そうなので」聞いてやるか、遠くから見ているか。陰で見守るK原健一。 60人が見守る中での3人+1人の総決起集会であった。また、このあたりで「闘争委員長がM武」というのが決まったようだ。
本部では、11日の団交要求と、ストライキ宣言が決定。だが、芸闘委中枢では尚早論が多数であった(芸闘委の人数は当時100人程度)。 参加した日芸生は300人? 100人?。夜、映画5年、I淵進、芸闘委に参加。
この時期から、非合法ビラが活発化(中には、ビラは合法的に配るべき、という非合法ビラも)。大学当局によって自治会も再生される(委員長はT柳房義)。さまざまなグループが活動したが、闘争に賛成する者から嫌悪を示すものまで、スローガンは一致してしまう。
6月7日、大講堂で、W辺俊平学長、M原博一学生指導委員長、M浦千三学監による説明会。 ストライキの気運高まる。
6月6日、さらに10億円の使途不明金が発覚。殆どは給与の支給に当てられたという。
6月11日
中庭で抗議集会。参加者は300人、江古田駅に向かうころには600人に膨れ上がっていた。
経済学部で5000人による全学総決起集会。正午、学校側学生250人が、Y田寛経済学部長より、襲撃の指示を受ける。学内にいた一般学生は、8階に閉じ込められる。集会後? 全共闘学生が校舎内に侵入、学校側学生と乱闘に。学校側学生は砲丸、鉄製の机やロッカー、消火器、日本刀のような凶器で応戦。機動隊800人が全共闘学生を排除。この混乱の中、ストライキ突入が承認される。また、ここで初めてヘルメットにゲバ棒の、「全共闘スタイル」が登場する。法学部3号館には法・経・文理・芸の学生200人が立てこもる。重傷者40、軽傷は6,70人。残った50人によりバリケードが構築される。午後6時、封鎖終了。経済学部には体育会系・学生会議・職員が立てこもり、機動隊が警備に当たる。
6月12日、経済学部闘争委員会が校舎に突入したところ、もぬけの殻で、内部は酷く破壊されていた。経闘委、ストライキ宣言。
6月15日、文理学部、バリケードストライキ突入。
日本大学当局は、体育系学生などを使って全共闘学生や共感する一般学生を脅す、といった対応を取っていた。T橋委員長も、自治会立て直しに動いてた頃に脅迫を受けたとのこと。ビラ配りをしていた非公認団体、文学クラブにも、体育部連盟会長のT中氏(G柔流空手道部主将)が警告にきたという。自治会もまた然り。体育会系以外にも、学校側は、単位や卒業を見返りとして、学生を「雇い」脅迫を行わせていた。また活動学生には、卒業を約束する代わりに登校を禁じ、「日大には全共闘などいない」と主張していた。
闘争勃発から最初のバリスト直前まで。基本的に、上から下で時間が流れています。前にも書きましたが、初期に活動していたのは自治会・学科グループとビラグループで、芸闘委成立の主力となったのは、自治会系と、M武善行率いる反自治会系の二つです。M武氏の周りに、卒業生・OB・5年生が集まってきた流れが分かっていただければと。
シナリオ金曜会と社会科学研究会が、文学クラブに対して縦に配置してありますが、これは時系列とは関係ありません。又貸ししているとはいえ、文学・金曜会は以降影が薄くなっています。社研は反自治会グループ側ですね。I淵進も自治会の下に置いてありますが、これは江古田ではなく神田の日大全共闘本部にて参加した、というのを示したかったからです。この人も反自治会系。
2022追記
最初の参加者のうちのもう一人はM宮真(映画2年)で、ストライキ後は芸闘委副委員長となった。
