少し前から氣になる腕時計があって、
何でこんなに欲しいのかなー?と考えていた。
誕生日(4月なのでとっくに過ぎてるけど)プレゼントとしてお願いしてあるの。
時計なんて興味が出たの初めてだと思う。
ハナと買い物をしていて店先の看板が目に飛び込んできて…一目惚れ
欲しいと思う気持ち。
私は余り物欲がないと思っていたんだけど(特に装飾品とかはね)、
実は小さい頃から押さえ付けられていたように思う。
小学生の頃、私が珍しく欲しがったセーラーカラーのブラウス。
デパートにたまに連れて行ってもらっていて、たまたま本気で気に入った物だったのだけど…
母親の渋りようったら今思い出しても笑えてくる位だった。
結局は、〇〇だから買ってあげようか、みたいな理由付けがあったなー。買ってはくれたけども。
あの時、《欲しい》と言うことに凄く嫌な印象を持ち始めたかも知れない。普段からそういう雰囲気はあったのだと思うし。
母親のモットーは、長く使えるものにはお金を掛ける。〈良いものを持つ〉。
逆に、自営業だった我が家に臨時収入があったらしかったある日、
「好きなもの何でも食べなさい。」と言われ、
デパートの食堂でワクワクして《グラタン》を頼んだら
「今日はもっと良いもの食べて良いのに…。」
と母に言われたのだ。
私の心境は『???』と共に、
「これが食べたいんだけど?食べたくもない高い物を頼めってこと?」
と、とても複雑かつ理解出来ない変な気持ちだったのを覚えている。
まぁ確かに、グラタンはいつも頼んでいたものだったからねー。でもそれなら、別のお店に連れてけば良いじゃんねー。
これは、本当に極端な例だと思うんだけど、
母親は貧しい家庭に育ったからお金に対する意識はネガティブだったと思う。
父が稼いだお金も貯めに貯め込んだかも知れないけど、家を建てる以外に上手く使っていたのか?は分からない。
結局成れの果ては、
父が詐欺に合い殆どの貯蓄も家も失ったのだ。
私自身の事ではないとはいえ、
まさに、稼いだお金は上手く世の中に回して行く事が必要で
そうしないでいると別のところで必然的に支払わなければならなくなる?
或いは、なかったものとされてしまうのかも知れないなーと
ボヤボヤっと考えてみている。
何かを欲しがっても渋られたのは、
母親が経理の管理をしていたこと(当時は従業員も5人程いた)や、4人も子供がいたから当然だったのかも知れない。
とにかく、私が育った親や環境の影響はあるに違いなく。
だからなのか、私自身手元にお金があっても自分の為に使うことが余りなかった。
欲しいと思うこと自体を放棄していたのかも?
不思議と目に見えないものへの投資は逆にブロックがなかったけど(笑)
下着とか学習とか健康系とか。
もしかして、
我慢する事を手放して行くと、思いもしなかった欲が出てくるのかも知れない。
だから、この先は、多分私は突然猛烈に何かが欲しくなったり何かをしたくなったりするのかも。
なので本心からの望みだと思ったら、
これからは我慢せずにやろうと思う。
でも、なかなか動ける自信がない。
という事で、動く時は、相当な丹田からの欲求なのだろうなと自分の事なのに他人事のように予測している。
今だって部屋の片付けが大変で
進まない事を責める自分の事をじっくり感じてみて、
人って、何でこんなにも
自分をいじめるんだろう?って。
私のせい。私が悪い。
私が我慢すれば。私が犠牲になれば…。
この観念って、一体どこから来るんだろう?
洗脳と常識の罠からの脱却が必要だと心から感じてしまう。
自分が《欲しい》と思うことは、
《欲しい》んだから、
まずはそれを素直に認めてみよう。
そして、ちゃんと手に入れよう!
だって目に見えないものには出来たんだもんね!
で思うのは、
やはりこの観念全体が、
生まれる時に通り抜けてきた母親の子宮や膣から頂いた観念って事なんだろうな。つくづくね。
そこから抜け出せば良いんだ。
BY6の母親はまさに自己犠牲を生きていたのだろうな。
そして私の娘たちにも早く脱して欲しい、親の縛りから…(´Д` )うひゃー
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