おはようございます
本日はですね。
どーもどーもAria♪です
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さて…本日8月15日
終戦の日でございます。
私は、戦争体験者ではないので当時のことはよく知りません。
最近、息子と靖国神社⛩について話をしてたときに昔、近所に住んでいたおじちゃんの話をしたので今日はそのことに触れてみたいと思います。
靖国神社⛩といえば…
トキの著名人の方々が参拝することでニュースになり、終戦の日あるあるな話題だと思うことがあります。
靖国神社には多くの特攻隊で亡くなられた方が祀られています。
祀る=神格化して崇める
という風潮が私は個人的には納得いかないものがあります。
そもそも、この特攻隊作戦は大人の利益の為だけに若い命を犠牲にして遂行された作戦。もっと言うと違う意味で戦後苦しむ方々も多かったのでは?と感じるのです。
私が小さい頃住んでいた家の近くに元特攻隊だった方がいらっしゃいました。
終戦の5日前に飛び立つもエンジントラブルがあり飛び立ってすぐ着水。基地に戻るもその後飛び立つことなく終戦を迎えてしまったそうです。
そのときになんとも言えないほどの苦しみを味わったとおっしゃってました。
なぜ、自分は生きてるんだろう…
生きてることに感謝する気持ちよりももうこのまま死にたい!誰か殺してくれ!と幾度も思ったそうです。
そのおじちゃんは随分前に亡くなりましたが、死ぬまでキズは癒えることないまま心はズタズタの傷だらけで死出の旅を迎えたと思います。
そのおじちゃんがあるとき口にした言葉があまりに印象的で今でも覚えています。
オレは、死んでも骨が残るだけありがたい。魂が帰る場所があるから。
でもあの日飛び立った仲間は骨すら残らない。
いったいどこに魂帰るんやってなるやろ。
靖国さんに祀られてるんやなくて、きっと骨すら見つけることができへんのやったら魂帰るところ作ってやらんとうかばれへんのとちゃうかなということで魂帰る場所を作ったんやと思う…と。
世の偉い人らがどんな気持ちで向かいあってるかはわからんけど、若い生命を大人の利益得る為だけにあんな作戦で仰山犠牲にしたんやからお参りやないと思うで。
若い生命を奪ったことに対しての懺悔してるんやないかと思う。
死ぬときも苦しいやろうけどでも生きてても苦しいっちゅうんも難儀やなぁ〜
切ないな…と思うのと同時に心のキズは目に見えないだけあって相当深いなと感じます。
確かに、その昔の政治家の方々は戦争を経験してる方が大半だったわけですからそうかもしれないなと思うことがあります。
片道だけの燃料
二度と戻ってこない生命
家族の立場になると骨すら拾うことも触れることもできないなんて切なすぎます。
靖国神社はそういった若き生命の魂が帰る場所なんです。
だから…せめて終戦の日くらいは魂が安らかに静かに過ごせるように配慮頂きたいなと思います。
今日はちょっと真面目な話でした
Aria♪
1945年のこの日、第二次世界大戦が終了
しました。
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