三宅雪子さんに、

出演依頼をしました。


だめだろうと、思ったけど。(T_T)

内緒でおたのみしたところ。



快諾をいただきました。    (T_T)

親父~!! おふくろ~!!  まだ迎えにこなくていいぞ~!!

   
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かつて、

中央大学で、「教育心理学」を講じていたことがある。

僕の自論は「教育はコミュニケーションである」だ!


学生と、先生のコミュニケーションがうまくいけば。

講義はうまくいき。

虐めもなくなる。


そこで、コミュニケーション論の立場から、

教育を論じたのが、ぼくの「中央大学での教育心理学」であった。

上司の「寺内礼次郎教授」は、

ぼくの、講義に理解をしめしてくれた。


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浪人時代に「代々木ゼミナール」に通っていた。

あるとき、代々木ゼミナールの掲示板に

「本田勝一 講演会」という文字があった。


妙に、気を引く文字だった。

警官の子供で、アメリカや政府に逆らうのは悪と思っていた。


講演会は、満員で。

なんだか、知らない世界の人々が話をしていた。(本田勝一先生)


しばらくして、「本田勝一・殺される側の論理」という本が出版された。

買って読んだ。

もう、覚えていないが。


「ベトナム戦争の北爆や、枯葉剤に倒れていくベトナム民衆の側の論理」らしい。



話しは変わるが。


僕は、神経症だ。


大学院の時。痴漢の冤罪を学生部にかけられた。

大学の助手か講師に残留する時期だったので、

社会党全盛時の社会党系大学の「東海大学」に必死で無実をアピールした。


社会党のが一大学院生より、一枚も二枚も上だった。(T_T)

痴漢冤罪を、研究室中でわざと疑い。

研究室で「実験助手」の任をもらっていたので。。


大学事務室にも「公用で度々出向いた」

研究室で、「痴漢が上手かった」とか、奴は「残れない」とか。

神経過敏になった神経を一日中逆なでされながら。


夕方に、教授命令で「大学の教務室」にコピーをとりにいくと、

「梅田さんは、痴漢の常習だってよ」と、聞こえよがしに事務員がささやく。


それでも、メゲズニコピーを取り終え、

知らぬ顔で、研究室に戻る。

こういう、イジメが1年以上続いた。


そして、年度末に「主任教授が」

君は、疲れてるようだ。」


「明日は、休暇をとりなさい」との命令。

やな予感がしたが、皆勤賞のぼくは休んだ。


翌々日、大学院生のぼくが研究室に行くと。

教授連が、「君は実験助手をして学校からアルバイト料をもらっているのに

”無断欠勤をした”痴漢でなく詐欺だ」


とのこと。


そして、まもなく言語心理学の指導教授一家が、僕をむかえに来て

「精神病院に連行された」


そこの、精神科医は「もうするなよ」とニタっと笑い。

向精神薬を9錠処方してくれた。


ぼくは、精神病に詳しくはなかったが。

精神病院の薬など、中毒になったら大変と1か月ぐらいは飲まないで捨ててた。


ある日、姉がカンカンに怒り。

つきっききりで、クスリを飲ませ続けた。


そして、1か月で。。

中毒になった。「体中に鉛が入ったように重くなり。ロレツもまわらない。


炬燵に横になっているのが、やっとの状態になった。


そして、精神科医いわく、この薬をのみ続けないと、

君は発狂すると言われた。


研究室に、はったようにして行くと。

君の先輩の「**助手も、東海大学の精神科に同じ時期に入院したが

彼は錯乱して死んだとさ。ははっははと、教授連が可笑しそうに笑った。


そして、ぼくは解雇通知。(実験助手)


そして、精神科のクスリを飲まないと「錯乱して死ぬ」といわれ、

独りで、精神科に行って「向精神薬を飲むようしつけられると」

見張りのように、精神科につきそってきた「言語心理学の教授は、ニタッと笑い

つきそわなくなった」


いまにしておもえば、

痴漢冤罪で、精神病になるというのも不思議だが。


当時の、教授連は「強姦とか、裏口入学とか、」・・・・。


若き、一大学院生の「青春の実話」です。


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