6月27日
お母さん川柳カレンダー
たからもの ねんねんころり ゆめのなか
数秘メッセージ
ただ大切な人のそばにいる
コメント
子どもの寝顔を見ながら
「私、お母さんなんだな〜」って実感
お母さんにしてくれて、ありがとう❤️
子どもが産まれた時
寝る泣く飲むが仕事だった時
存在そのものが愛おしい
存在そのものを愛してる
イヤイヤ期になっても
ヤンチャになっても
思春期になっても
学校行かなくなっても
引きこもっても
家出しても
大人になって離れていっても
存在そのものが愛おしいはず
その事を忘れないで
忘れてもいいから、思い出して
と言いながら
今回は、
息子との関係にモヤモヤしてた頃の記憶です
2023年12月9日の記録
息子に、「おはよう」の挨拶とか
お弁当(朝ごはん用、昼ごはん用)とかを作る事が
いつか分かってもらえる母の愛情と思ってたけど、
挨拶しても返事しないし、
ご飯作っても、当たり前の態度とられて
嫌な気分になるなら
「何もしなくても良くない」
と思い始めた。
挨拶する目的を今考えてみると
パパとかだったら
「自分の気分が良くなる為」
とかだけど、
息子への、一方通行の「おはよう」の目的を考えたら
挨拶はしなければならない
母として
無視されても、
平常心でいなければ
明るくしていなければならない
の、ねばならない
になってる事に気づいて、
思い切って、辞める事にした
「母とは」「愛情とは」で縛られて
ジャッジしてたかも
母親像が、自分なりに出来上がってたけど
それもエゴ
「良い」「悪い」がないのなら
しなくて良くない
「どうせ息子は大丈夫」
って思ってるのなら、
別に
ねばならないは、要らなくない
作りたい時に、朝ごはん昼ごはん作る(自己理由で)
その時も、自己理由で
栄養いっぱい、心込めて作る
ジャッジがない世界なら
それでいい
天国も地獄もないのなら
自己理解