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幾星霜遥かのブログ

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「素直になる」ことによって、お父さんの限りない愛を受け入れ、ここから「脱」に向かって出発をされる訳ですが、キラリ☆さんの「素直になる」にはもう一段深い思いがあるのではないでしょうか。

ブログの最も最初の節の中の次の言葉がとても印象に残りました。

 

自分が考えたり感じたことは結構逃していなかったのですね。

 

逃していなかった

とても興味深い表現です。キラリ☆さんご本人のお考えを差し置いてですが、私にはここに、「自分自身を見失わなかった」「自分をしっかり持ち続けていた」きらり☆さんが表わされていると思えました。

 

「素直になる」ということは、一般的には親や教師に対してだったり、上司や社会に対してだったり、さらには“神様”に対してだったりと、つまり主体となるものに対してとる姿勢のことです。親や教師の言いつけをよく聞くとか、上司に対しての“報連相”がしっかりしているとか、社会の常識やしきたりに良く順応できるとか、絶対無謬の神の前に完全に自己否定するとか。基準となる主体があり、それに対して自己が無条件に対象(UC的にいえばマイナス)となることで「素直」だと評価され、その基準となる主体の影響下において自己の安寧が保証されるということでしょう。つまり他者との関係において「素直になる」ということは、主体としての自己の放棄、少なくとも良き対象者であろうとする限度においての主体性の容認ということではないでしょうか。

 

しかし、キラリ☆さんの「逃していなかった」のはもちろん基準となる主体ではありませんね。

キラリ☆さんは、「何か圧力をかけて、自分を支配したり利用したりしようとしている人から逃れてでも「自分が考えたり感じたこと」を逃して・・・」いませんでした。そして今回の帰省は「独断偏見の激し」さ故に続いてきてしまった敬遠を乗り越え、自分が考えたり感じたこと」つまり、「たくさんの愛を持っていることも感じてい」たことに「素直になる」ことができたことにより、お父さんの感動的な姿を見ることになりました。

 

そして自分が考えたり感じたこと」に「素直になる」ことが、何か圧力をかけて、自分を支配したり利用したりしようとしている」ものからこれ以上逃れることを許さなくなりましたね。乗り越える道に進む覚悟が見えてきます。

 

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ただ私にはこれから大きな次なるハードルが構えています。

これも馬鹿正直な性格か、自分の中では絶対に嘘をつかない!という確固たる信念のお陰で、やっと見えてきたものがありました。

 

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そして、キラリ☆さんのこのブログ記事の最後は、次の言葉で締め括られました。

 

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自分に嘘をつくのだけは辞めましょう。

 

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