思えば24数年前、親父が生前 最後に一緒にドライブ行った。ドライブと言っても病院まで少し遠回りして、、父の憧れだったFerrariだった。


この写真が父の生前最後の写真となった。



そうか、もう25年前になるのか…それを最後に、生きて家に帰ることはなかった。


写真を整理してたら出てきた。親父も若い頃は ヨタハチやコスモスポーツ、車好きだったから何枚か写真が出てくる。






僕が車好きなのはその影響? いや違うと思う。方向性が違ったからね。今思えば親父の憧れだったFerrari 生前最後にドライブに行けて良かったと思ってる。






お袋と最後にドライブしたのは ついこないだ6年前です。よく覚えています。Isetta300 イセッタですよ。6年前の6月に脳出血で倒れる3週間前だった。


岐阜県下呂市飛騨谷山荘から下呂温泉方面へ鶏ちゃんを食べに一緒にドライブ行ったのが最後のドライブだった。往復50キロ弱。それが、母と最後のドライブとなった。





上の写真が母が横に乗っていて、生前最後の記念写真となった。これがお袋の生前最後のショット! 暗くて顔はよくわからないけど



今思えば…父と一緒にドライブしたのが フェラーリで、母と一緒にドライブした最後が イセッタだったわけだ。


親孝行を考える。両親が生前の時は存在が当たり前に思ってた。違うんだよね。ありがとうと感謝するでも必ず、いつかはやってくる。


先延ばしにせず向き合わないといけない。父を亡くしたときに痛切に思った。親孝行って生きてるときにしか出来ないという事。


それは何かをしてあげるとか旅行へ連れていくとかなにかをプレゼントするとかではない。僕は両親が他界してから気がついた。


それはね、話を聞いてあげる会話をするという事。遠距離であっても電話でもいい。いろんなたわいもない話こそが一番の親孝行なのだ。


お袋は僕の歴代のあらゆる車に乗ったっけ。ポルシェもフェラーリもランボルギーニも乗り…COBRAにも乗ったことがある。








次に1951年製MGTDそして最後にイセッタだったとは究極な領域を体験したわけだ。




国道41号沿いの三渕のダムは側道の駐車スペースにて。

1951年製MGTD






乗りたかったかどうかはわからないけど、お袋は愉しんでいた気がする。


飛騨谷山荘は国道41号を北上下呂市へ向かう途中山へ2キロほど入った所、それこそポッンと一軒家な出てきそうな所である。





今でも時折立ち寄るのだがここは廃墟となってる。今思えば僕が思い切ってここにバンガローでも建てて自然のキャンプ場、ニジマス釣りアマゴ、イワナ狩猟の免許も取って猪鍋とか鹿鍋とかね、






お袋は僕が行くと車の音でわかるらしい。いつも笑顔で出迎えてくれたね。






この場所3〜4000坪はゆうにあるだろう。老後の楽しみにもここを管理すれば良かったかなぁと思ったりする。






片道100キロ トコトコと国道41号を南下する。いつも立ち寄る道の駅ピアッチェーレの駐車場で抹茶の白川茶ソフトクリームを食べるのが楽しみだった。