イメージ 1


『SCENE』これは有名な30年も前の作品。SCENE トラックのポスターです。

これは1976年 SCENE FROM VAN が誕生して VANが倒産する1978年までの わずか 2年の間に作られたものです。それでも 40年近く前の作品と言うか、販促物でした。素晴らしいポスターです。よりアメリカンな感じがしますね。アメリカのフロンティアスピリット!!テーマにした、SCENEだった。

イメージ 2

SCENE FROM VAN SCENEは、1976~たった2年間だけだったんですよね。SCENEコンセプトは素晴らしかった。何故に、旧VANヂャケットの救世主にはなれなかったのか?

1976年 最初はスポーツマインドに溢れ本場のアメリカを教えてくれたように思う。今思えば・・ある意味 アメリカの本格的なものを追求し過ぎたのかも知れないなぁ。純粋にも、今ならこれらのものが、絶対にいいと思うんだけどね。純粋なアメリカを感じます。

起死回生ならぬ、見事撃沈でした。76年のスタートしたときはアメリカのフロンティア・スピリッツ的。かっこよかったんだけど、末期のVANは商社が参入し、過大にアメリカにのめりこんで行ったのが敗北の原因だったのかも。つまり、その頃の日本には、リアルウエスタンとか、強烈で一般受けではなかった。

VANらしくないモノが、たくさん出回り始めて…77年あたりから石津さんは経営から離れていましたそうです。某VANショップの、それらの商品を見て、「これではダメだな。。」頷いたのがわかります。その頃は、もうね、石津先生は、雲の上のような存在だった人ですからね。

イメージ 3

SCENEのパブミラー、KentもSCENEも、アメリカを感じます。これらのノベルティ・グッズもしかり、訴えかける魂を感じました。

純粋にも知ったかぶった姿勢ではなくて、誰もがアメリカに足を踏み入れた初心なる、日本人として素直な表現が、素晴らしい作品になったのではないかと思うんですよ。商社が参入した時点で経営が 石津イズムらしくない。商売に走ってしまった為に夢や希望が消えていったのかもしれませんね。

イメージ 4

基本は、そのままをコピーするのではなくて、人真似であってもアメリカンナイズされても、日本人。日本人のフィルターを通して世界を観るということなのかもしれません。そうか、40年近くも経ったのか。

石津先生が、残してくれた遺言の一説にね、髪を染めてもガムを噛んでも、日本人は日本人なのだ!

西洋人が羨むくらいに、日本文化に華を咲かせて、日本人の誇りを取り戻そう。とある。物ではなく文化を輸出する大人の国、日本の到来を願う。石津先生らしいお言葉ですよ。

ブログ タイトルのようにも、『VANが僕らの先生だった。』昭和とVANと橘浩介

"VAN"は 日本の文化であります。 純粋な日本のブランドなんですよ。今一度、誇りを持ちたい。