江戸の人口はどれくらいいたのだろう。1457年に太田道灌が江戸城を築き城下町が誕生する。しかし、翌年、主君の怨みをかって殺されることに。その後1590年、秀吉に領地替えを命じられた徳川家康が江戸城へとやってくる。江戸は起伏が多く平地が少なかったためお堀を掘り、そこから出た土で埋め立て地を造っていったのである。埋め立て地には運河を通し、人や物の輸送を行うばかりではなく防火や防災にも重要な役割を果たしたと言われる。このようにして出来た江戸には、1743年の調査で、町は1,618町、家屋は128,570軒、人口が515,122人もいたとある。しかもこの数字には武家が含まれておらず、武家と参勤交代で江戸に入った者たちを加えれば1,000,000人を超えていた。その後、1787年、天明の飢饉の際に幕府が調査した数字では、武家も含めて1,626,500人にものぼったという。まさに江戸は世界最大の都市だったのである。
しかしながら、こんなに人口が集中してメリットがあったのだろうか。実は武家の屋敷や町人の家が密集することで、家康は砦としての役割を持たせようと考えていたようだ。つまり、人口が増えれば増えるほど江戸の防御は堅くなるという訳だ。とは言え、家が密集すれば火災のときは大変だ。江戸の大火は歴史に何度もお目見えする。人が集まることの善し悪しはどちらに軍配が上がるのか。あなたの考えはいかに。
しかしながら、こんなに人口が集中してメリットがあったのだろうか。実は武家の屋敷や町人の家が密集することで、家康は砦としての役割を持たせようと考えていたようだ。つまり、人口が増えれば増えるほど江戸の防御は堅くなるという訳だ。とは言え、家が密集すれば火災のときは大変だ。江戸の大火は歴史に何度もお目見えする。人が集まることの善し悪しはどちらに軍配が上がるのか。あなたの考えはいかに。