写真をアップしました。

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見てやってください。

いまはバラナシで少し休憩中。
でも2月12日にはシヴァ最大のお祭りホーリー祭、その後すぐアッサムに戻って2月16日のカルビー全員集合に向かい。
その後はまだ未定・・・・

ホーリは最大級のお祭り。
撮影楽しみです。


とうとうダージリンを出発。


ARE YU STRAY?-ダージリン


ダージリンでも色々なことが起きた。
食の旅人ヒゲさん(確か4年か5年旅をして、その食べた物をすべて写真に撮り続ける変人)に会いダージリン食の旅をする。
72歳のジャガットと友達になりテントをはれる所を探し毎日散歩三昧。
そして皆にさよならを告げ。
まずダージリンからニュージャルパイグリに下山したのが朝8時。
電車は10時30分。
10時に電車の状況を見にいって驚く。
電車がキャンセルになっている。
呆然として駅を放浪。
放浪してもどうしようもないのでチケットをキャンセルして、明日の朝に考えようと安宿を探す。
探しまくったあげく。
何とか見付ける。
次の日、電車はもう当てにならないと思い。
バス停へ。
バラナシにまでのバスはなかったが、パトナ行きならあり、そこがバラナシに近いと聞き。
12時30分にチケットを買う。
バスの出発時刻は夕方の5時半
まってバスに乗る。
パトナに向かう。
狭いバスの中で14時間。
パトナに着く。
SDカードが全部盗まれている事に気付く。
落ち込む。
カードはいい、その中の映像が無くなった事に酷く落ち込む。
でも無くなった物は帰ってこない事を前の経験で知っているので、直ぐに立ち直る。
バラナシにどうやって行くのか分らないので、そばにいた若い兄ちゃん達に聞く。
「パトナからバラナシまでは何時間だ?どう行けばいいのだ?」
兄ちゃん達は答える。
「何人だ?」
「日本人です」
兄ちゃん達大はしゃぎ。
同情をかう為にSDカードを盗まれたと告知。
一緒になって、落ち込んでくれ。大はしゃぎ鎮静。
「おまえ飲めるか?」
「ああ、肝臓はあまり機能してないが飲める事は飲めるよ」
「なら、飲め」
フトコロから出てきたウィスキーを瓶ごと飲む。
「もう大丈夫だ」と言われ何がなんやら「そうだな」と何とか自分を落ち着かせてもう一度聞く。
「パトナからバラナシまでは何時間だ?どう行けばいいのだ?」
「オレたちもそっちの方に行くんだ。一緒に行こう」
ちゃんとした答えは返ってこなかったが「いいよ」
一緒に行動開始。
まずはバスを探す。
この日、インドの休日でバスはない。
「どうする?」
「大丈夫。電車がある」
「なら電車に乗ろう」
「そうしよう」
駅までオートリキシャで走る。
駅に着く。
チケットを探す。
ない。
またもや、兄ちゃん達は大はしゃぎ。
自分も仕様がないので大はしゃぎ。
それにも飽きた頃に兄ちゃんの中でも一番まともな青年がいう。
「一番遅いローカルならあるぞ」
「何でもいいよ」
「でも汚いぞ」
「自分はもう一ヶ月で3回しか風呂に入っていない。ノープロブレム」
お兄ちゃん達。大はしゃぎ。
「まずは顔を洗え」とはやし立てる。
「おまえが顔を洗っている間に俺たちはチケットを探す。どうだ?」
「もちろんYES」
顔を洗う。
「顔が白くなったぞ」と言いながら大はしゃぎ。
でもチケットは手に入る。
電車に乗る。
そこからはまわりの迷惑も関係なく乱痴気騒ぎ。
バラナシに着くのかと思いきや。
着いたのはムガルサライ。
「何所だここは?」
酔っぱらい達は「オレたちはデリーに行く。また会おう」と手を振るので手を振りかえす。
いきなり知らない駅で一人になる。
仕様がないので、バラナシにはどう行けばいいのか聞いて回る。
どうやら、ここから22キロの所にバラナシはあるようだ。
歩ける距離ではないので、タクシーを探したが吹っかけられる。
腹が立つので歩いていたら、バスで行けるという情報をゲット。
バスに乗る。
バラナシのバスターミナルに着く。
ここからはなれたもの、直ぐにリキシャーを見つけ。
二日前にやっとバラナシに帰って来た所だ。
少し休憩するつもりだ。

ARE YU STRAY?
ARE YU STRAY?
ARE YU STRAY?
ARE YU STRAY?
ダージリンについて一週間くらいはたった。
まだ動けないでいるが、電車の切符はとった。
出発は1月24日。友達が来ていると思うので会いに一路バラナシへ。
それとクンブメーラの情報が入って来た。
メインの沐浴は2月12日と3月15日と4月14だそうだ。
どれかには行きたいと思っているけど、その前にカルビーの祭りが2月16日にあるので2月の沐浴にはいけない。
2月にはプリーで映画祭も・・・・
ビザは4月に切れる。
パキスタンの状態も良くならない。
どうしたもんかと悩み中。




やっとネットがつながる地域に来た。
自分のPCが悪いのかネットがつながらなくて困った。
それにお金が底をついたのでリトライ出来なかった。
ここまでの話をざっと説明したい。
まず山ジイとレイナちゃんと別れ一人旅へ。
所持金は1500ルピー(日本円にして約3000円)を持ちアッサムへ向かった。
泊まりはテントで過ごすつもりで行ったが運良くナラヤンというアッサム育ちのネパーリと出会いお世話になる事になった。
竹で出来た部屋で冬のこの季節にはちょっとつらかったが助かった。
食事まで恵んでもらって生活した。
辿り着いた場所はアッサムのカルビーアロングのDIFUという場所。
モンゴリアンの少数民族とネパーリーそれにベンガルのミックス地帯。日本人が来たのは初めてだととても歓迎された。
主にカルビンという戦士の部族が住む。
ナラヤンの家もネパーリーとカルビンのミックス家族。
自分はカルビンの文化に特に興味を持った。
カルビンは文字を持たない。
統べての文化や風習は口頭で親から子供へ伝えられて来た。
宗教は今では自由でキリスト教もいればヒンドゥー教徒もいる。
だが特に興味を持ったのはカルビンの独自の宗教。
自然そのものを崇拝する。
シャーマンの儀式を幾つか見せてもらった。
それは生け贄を使った祭式でシャーマンは生け贄の血で神との対話をする。
見せてもらったのは葬式と一年の吉凶を占う儀式。それに死んだ人を呼び戻す儀式に家族で行なう吉凶の儀式の4つだ。
どれも撮影して来たのでいつか見せる事が出来るだろう。
そしてそこで約20日を過ごしやっとダージリンに帰って来た。
そしてダージリンに帰って来て今日、カンチェンジェンを見た。
その美しさに驚いて直ぐにここを経つ気でいたが、もう少しここにいようと思う。
なぜならとても面白い男とあったからだ。
ARE YU STRAY?
その男は代々の古物商。
特に売る気もないらしく客が来ても積極的に商売しない。
どうやらこの男。売る事よりも集める事の方が楽しいらしく。
店中に集めて来たお宝を飾り。その中でゆっくりと余生を過ごしている。
気に入って今日は一日中。お宝を見せてもらっていた。
チベットで集めて来たお宝はすべてが興味をそそる。
幾人かの客が来たが、なにも話さない。話しかけられたらぶっきらぼうに答えを返して終わり
客もすぐに皆帰っていった。
明日。幾つかのお宝を家から持って来てみせてくれるらしい。
明日が楽しみだ。
としている間にクンブメーラが近づいている。
でもクンブメーラは三ヶ月半の間行なわれる祭り。
初日の人でごった返す時ではなくてもう少しサドゥーの生活が安定してからでもいいのではないかと思っている。


カンチェンジェンガ  山
ARE YU STRAY?


カルビー ママ
ARE YU STRAY?


結婚式 王子様
ARE YU STRAY?

シッキム 手をつなぐのに三日かかった。
ARE YU STRAY?

カルビー 娘 クングル妹
ARE YU STRAY?

ニュージャルパイグリ 手すりのない 屋上から
ARE YU STRAY?
ima diphu ni imasu.
kokoha Karbi to iu sensi no matidesu.
dounimo kounimo syojijyou ni yori kokokara ugokemasen .
tada gohan to sumutokoro ha get sita.
kyouha hituji to tori to buta wo korosite tabemasita.
un tondemonaitokoroni imasu.
kotoba ga wakaranai node sukosizutu benkyou tyu.
kon nitiwa = kardom.

シッキムに到着。
でも、シッキムの友達と連絡は取れていない。
ダージリンのストライキを終え。
何とかシッキムに到着。
ダージリンよりは標高も低く、少し暖かいが少しだ。

町は思っていた以上に都会。
ここから移動をして山ごもり出来る山をゆっくり見付けようと思っていたのだが、環境?文化?の保護の為に,ここ北インドに入境する為にはパーミションが必要だった。
それ自体は直ぐに取れたのだが、2週間が限界。
山ごもりは、もう少し降りたパーミションがいらない山でないと出来ないようだ。
だから困っている。
いや、助かった。
予定変更。
温泉を見付けたので体の事を考えて湯治にでも出かけようと思っている。
とにかくシッキム。ヒマラヤ山脈の眺めは最高。
ヒマラヤを眺めながら温泉に入るのは楽しみだ。

2009/12/12日バラナシをとうとう出発した。
シッキムまで山ジイとレイナちゃんと一緒だ。
にぎやかな旅になりそうだ。
二時にシバカフェ(ネパーリーがコックのベーカリーレストラン)で待ち合わせ。
もちろん遅刻。
謝罪。
時間があるようなので昼飯を食べる。
食べていると3時40分の出発に間に合うかどうかの瀬戸際になる。
急いで出発。
急いでいると真剣に急がないと行けない事に気付く。
リキシャーをつかまえる。
ドライバーはお爺さん。裏道を走るが明らかに時間のロス。
駅に着いた頃には3時40分の2分前。
「まあ。インドの電車だし定刻に出る事はない大丈夫でしょう」と一息ついているとアナウンスがながれる。
ヒンディーなので「もうでるよ~」なのか「もうでたよー」か「いまからでるよ~」なのかは分からないがピンチな事は確かだ。
走って駅のプラットホームに着いた時山ジイが叫んだ。
「電車が走ってる」
遅れて電車を見る。考える。
「うん。確かに走り出している」
走り出す山ジイ。そのまま飛び乗った。
ちなみに山ジイは軽装だが自分は機材で鞄は重い、もし飛び乗れなければ転んで機材も壊れて・・・・考えるだけでも怖いので考えないで飛び乗る。
出来た。
がしかしレイナちゃんが電車から落ちた。
ころころ転げて止まった。
大丈夫か?電車は相当なスピードだ。
だけどレイナちゃん丈夫。
インド人二人に抱え上げられ立ち上がる。ふらふらだ。
それを見かねて電車はやっと止まった。
何とか少しの出血と多数の打ち身で収まった。
そのあとニュージャルパイグリに着き。
ダージリンに向かう。
山ジイとレイナちゃんは先きにダージリンに向かうが自分はちょっとリキシャーでぐるりとドライブしたかったので別行動。ダージリンで待ち合わせ。
その後に何とか乗り合いジープを見付けて乗る。
乗った場所はシリグリ?違うかもしれないがそこから乗った。
ジープは猛スピードで三時間走り。
ダージリンに到着。
ホテルに着いたら二人がいないので計画していた山ごもりの準備を始める。
バラナシでしたのではないのか?
したのはしたが山を舐めていた寒い。
ホテルの人に聞く。
すると驚く事にその人の旦那が昔は山オタクということが発覚。
「本気で行く気があるなら明日話してみるといい。洞穴に住んだりしてました」と言われ。有頂天。
直ぐに山支度を始める事に(今の一番の防寒具。コート。パーカー。靴はオールスター。一人用のテント)寝袋無し。以上。しかもここはヒマーチャル(ヒマラヤ山脈)アウトドアのお店があるというので行ってみる。
「高い」ので股引と靴下と耳当てを買った頃には暗くなったので帰る。
夜ホテルの人に話しかけられ「明日からストライキが始まるから四日間は何処の店も開いてない。水と卵ぐらいは用意してやる」
と言われた。
うーん。どうしようと思っている。
それが一週間前だ。
今はシッキムにいる。

明日出発なのに時間が無い。

また風邪を引いた。

今も引いている。

明日から北の果てに向かうが、日本から発つ時と同じ。
まったく何の準備もしていない。

とにかく明日の多分夜?には電車に乗っていると思う。

まあ,風邪次第だな。




風邪をひいてしまった。
出てくる時に免疫の低下でずっと倒れていたので、今回もそうなるのかが不安だったが、10日かかったが何とか外に出て来れるようになった。
このまま日本へ帰国か?と本気で不安になったが直ったので良かった。
旅を始めて二ヶ月になる。
とうとう重い腰を上げ昨日シッキム行きのチケットを予約した。
シッキムはブータンとミャンマーの間にある。インドの離れ小島のような場所だ。
ヒマな人は地図で調べるとよくわかる。
ヒマラヤ山脈沿いの町である。
どんな町かは情報がないのでまったく分からない。
とにかく行ってみようと思っていたら山ジイが「俺も一緒に行く」
それは楽しそうだと承諾。
その後に29日まで行方不明になっていた友達も「一緒に行く」
それに,シッキム人の友達二人の5人パーティの完成。
でもずっと一緒という訳ではない。
自分がシッキムの山で2週間から1ヶ月過ごすつもり、山ジイと元行方不明者は一週間くらいでバラナシに戻る。
冬山の装備なんてなにも持っていないので一生懸命探していると、友達がテントを貸してくれる事に
冬山でもテントがあれば大丈夫だと自分に言い聞かせている。
どっちみち寝袋もないし、持っている冬服はコートが一枚。
寒くなる事は必死だが免疫が落ちている今心配だが寒い所には菌がいないと聞いた事がある。
なら免疫がなくても病気にならないと信じて出発を決めた。
電車は一週間に一本。
その電車の走行距離は3000キロ以上。
そんな山奥で過ごすなんて楽しみで仕様がない。

ルートはまずMahanandaという所に行ってそこからジープでDarjeelingそこから確か(覚えてないが)またジープでgangtok。
冬のヒマラヤを目指す。
目的は山ごもり。
ジャングルやブッシュで過ごした事はあるが雪山は始めてだ。
とにかくテンとは在る。
後は火が使えたら何とかなるのではないかと思っている。
出発は12月12日。

後20日にダージリンから車でいける所で祭りがあるらしい。
たどたどしいシキム人が英語で「小さな村の祭りには小さな歌と小さな踊りがあるよ」
と言っていたので「踊りと歌があるのは当たり前だ他には?」と聞いたら「穴を掘るよ」と言うので「その穴も小さい?」と聞いたら「そんなに大きくない。ただ穴の大会だよ」と答えた。
何がなんやら分からないが、とにかく年明はヒマラヤ山脈のどれかの山で過ごすつもりだ。

「山ごもり出来そうな山はあるか?」
と聞いたら
「あるよ」
と言われた。
なので山ごもりに行ってきます。