※この記事はnoteに投稿した内容を加筆しています

 

 

 

わたしは
自称「責任感が強いタイプ」でした。

 

職場とかでもそう評価されたことがあるし・・・

 

・ちゃんと調べる
・先回りして考える
・確認する
・抜け漏れがないようにする

 

 

先日
大切な内容なのに

 

家族に軽く
「やっといて」と言われて、

 

なんでわたしばっかり…

 

とイライラした時。

 

そのイライラを書き出して

距離をとってから要約してみると

「わたしに責任を押しつけないでよ」

書き殴ったことって
この一行に集約されていました

 

 

さらにノートを書きながら

わたしは


“責任感が強い”というより、

“責任を持たなかったら怖い”

 

だったのかもしれない、ということに気づいた。

 

何が怖かったんだろう?と見ていくと、

 

失敗すること
取り返しがつかなくなること

 

それだけじゃなく、

 

「ちゃんとしてない人」
「無責任な人」

 

と思われることを
強く恐れていたんです。

 

だから
責任を必要以上に重く握りしめていた。

 

だからと言って

「責任を手放せばいい」

と聞いても、実行に移せなかった。

 

 

Self Dialogueノートを書きながら気づいたのは、

 

わたしは
「責任をなくしたい」わけじゃなかったということ。

 

本当は、
“責任を、重圧として扱いたくない”だけだった。


じゃあ

わたしにとって
「責任がある人」ってどんな人なんだろう?

 

そう問いかけたとき、

出てきたのは

 

「その人らしく生きている人」

 

という感覚でした。

 

正しい・間違いではなく
内側の小さな声に沿っていること。

 

必要なことをやる。

でも

恐れから派生した動きではないこと。

 

ここが、わたしにとっては大きかった。

 

不自然に

 

競わない
マウントを取らない
隠さない
飾らない

 

そんなふうに
自然体で人と関わっている人。

 

わたしは
“ちゃんとしている人”

になりたかったんじゃなくて、

 

本当は
“自然な人”

 

でいたかったんだと思う。

 

 

ああ… そういうことか

 

「責任感が強い」
と思っていたものの中には、

 

「責められたくない」
「ちゃんとして見られたい」

 

そんな緊張が
たくさん混ざっていました。

 

そして最近は
無意識に“おそれ”から動いているとき、

 

違和感や
モヤモヤを感じることが増えてきました。

 

今までだったら

そのまま
「ちゃんとしなきゃ」の声に沿って

ゴリ押しで進んでいたと思う。

 

でも今は、

「あれ、これ本当にわたしがやりたいのかな」
「怖さから握りしめていたかも」

 

そんな感覚が
少し残るようになった。

 

たぶんこれは
正しい・間違いの話じゃなくて、

 

自分の内側にある
2極の“緊張”に気づけるようになってきた

 

ということなんだと思う。


だから今のわたしは

責任をなくしたいわけじゃない。

 

まずは、内側のごちゃつきをほどく。

「ちゃんとしなきゃ」
「責められたくない」
「こう見られたい」

 

そういう混ざり合ったものを、
少しずつ分けていく。


すると


その奥に

もっと静かで
自然な感覚が残る。

 

その感覚を指針にして
委ねてみる。

 

「自分を運営する」って、こういうことなんだと思う。

 

そして最近は
「どう運営したいか?」

 

この感覚を
少しずつつかみ始めています。

 

たぶん
これがわたしにとっての 「自己責任」 

 

恐れや緊張から自分を動かすのではなく

 

内側を頼りに
自分がどう扱うか・どう動かすか
その運営を引き受けること。