紙媒体のゆくえ--すべてデジタルに取って代わられるのか | SOTOBORI STREET EYE!~赤坂外堀通りで働く広報コンサルタントの視点~

紙媒体のゆくえ--すべてデジタルに取って代わられるのか

雨降りで外に出かけられなかった土曜日、家で映画「ベイマックス」を見ました。

涙もろい私が、終盤のクライマックスで号泣したのは想定内ですが、ふと隣りを見ると、なんと今月5歳の誕生日を迎えたばかりの長男もボロボロと泣いており、びっくりしてしまいました。
アニメの登場人物に感情移入して共感できるまでに成長したのか、ということに感激。

一方で、かねてより子供らしさがないことに一抹の不安を感じていたこともあり、おまけに涙を拭き拭き、なぜか怒ったように「あくびしただけっ」なんて大人の言い訳をするので、これも早熟のせい??という懸念が頭をもたげたり…。

しかし、「5歳児 映画で泣く」とググってみると、決して珍しいことではないようで、中には2、3歳の頃からテレビを見て泣いていたという感受性豊かな子もいるようでした。

確かに、テレビの影響力は子供にも大人にも非常に大きく、とくに子供に対しては、文字通り目を奪うほどの訴求力。

長男はテレビがついていると、どんな大好物が食卓に並んでいようともお箸を持った手がピタリと止まったまま。
テレビ消すよ、と言うと、たとえCMであっても「これがおわってから!」と、リモコンを持つ私の手を必死で止めにかかります。
1歳半の二男も、テレビの音が聞こえてくると隣の部屋からどたどたどたっとズッコケそうになりながら大慌てで駆けてきて、画面の前で棒立ちになってしまいます。

こんなこともありました。3歳年下の弟が10歳になったらぼくは何歳?という長男の質問に、「13歳だよ。中学生だね」と返し「中学生って知ってる?」と聞いてみると、「しってるよ。オトナみたいなコドモでしょ」という答えが。
そんなこと誰に聞いたの?と問うと、「このまえテレビにできた」と言うのです。
しかも、これは受け売りではなくてテレビに出てきた中学生を見てぼくがそう思った、というようなことを主張していました。

こうして、ある観念を、ときには「印象付けられた」という自覚もないまま、まるで自分の考えであるかのように視聴者の頭に入り込ませてしまうテレビの影響力は計り知れません。

テレビだけでなく動画は、流れているとついつい目がいってしまいます。
近年、街頭や駅構内、電車内やタクシーの中にまで、動画を流すデジタルサイネージが急速に普及しました。
11月30日から営業運転が開始される山手線の新型車両E235系では、車内のデジタルサイネージが従来の乗降ドア上だけでなく、窓上や隣の車両へ向かう通路の上などにも設置されているそうです。

2014年7月、JR東日本がE235系の導入を発表した際は、車内のデジタルサイネージを増やす一方で、紙媒体である中吊り広告が廃止されるという話もあったようですが、今回の営業運転では中吊り広告の存続が正式に発表されています。

「文字情報が多くじっくり読んで欲しい広告もある」という広告主の意見を取り入れたとのことでした。
自分の意志で、自主的に選択して読まなければ情報が入ってこない分、紙媒体なりの効果もあります。

広告、新聞、雑誌に本。すべて電子化が進んでいますが、紙がなくなってしまうことはまだまだなさそうです。

仙頭