誰かが何かを語る時

また文面とか


それが知識からの言葉なのか

体感からの言葉なのか


いつしか

"解る"ようになった


のだけども


それは

ただ"解ってしまう"

ようになっただけで

特別なことでもなんでもない



"特別意識"

が勝手に発動して

"わたし"

特別にしているのだ…










あの日は

あの大きな地震の後で

銀座のお店も休みになってしまってヒマだし

"わたし"は

当時住んでいた場所

第二京浜辺りを歩いてたんだけど


その時突如

拡大する意識

に遭遇した




一瞬だったけど

それは永久に流れている

どこにも行かない

ただ在るという

時空というか空間というか意識というか

そんな…

感じだった



はっ…


とした


"わたし"は

普段認識している

この世を生きている

わたしの身体を眺め下ろし

理解した



この身体は乗り物であり

本当のわたしは

この時空的意識そのものだったんだ



と…





だって

わたしは空であり雲であり

風であり

木であり川であり

道であり

雨であり…



全部であり


大嫌いなあいつだった












"わたし"は透明になって

溶けた






"わたしはいない"




の意味が解ったあの日を

この2023年ゴールデンウィークの中

思い出してしまった





全体

全て

ワンネス



この言葉しか

あてはまらないのも






一つの時空的意識は

生きとし生けるもの全てであり

一体であり

常に背後から見ている

もう一人の"わたし"

それこそが




本当の"わたし"





なのだ













文章って難しい

書けば書くほど何だか平面…


そんな本日









どうぞ素敵な夜を✨



麻紐でカゴを編み編みしてます