書籍情報
著者:エーリッヒ・フロム(エーリッヒ・フロム)
訳者:渡会圭子
出版社:筑摩書房
発行年:2018年1月10日
価格:1,210円
ジャンル:社会心理学・精神分析・倫理学
著者プロフィール
エーリッヒ・フロム(1900–1980)は、ドイツ・フランクフルトのユダヤ人家庭に生まれ、社会学と心理学を学んだ後、フロイト派精神分析の訓練を受けた。1930年にフランクフルト社会研究所に参加するが、ナチズムの台頭を受けて1934年にアメリカへ亡命。メキシコ国立大学で教鞭をとりながら、「自由からの逃走」「愛するということ」など、人間の自由や愛、生の意味を哲学的かつ社会心理学的に考察する著作権を先に発表。
本書の特徴
『悪について』は、フロムが『自由からの逃走』で描いたタナチズムへの傾きという現象分析をさらに重視し、人間の本性と「悪」との根本的な関係を探った著作である。かつての新訳版では、平易な日本語訳が読みやすさを高め、巻末の詳細な解説(剛司)が現代への示唆を豊かに補完している。
以下内容要約
フロムが描いた「悪」の全体像
エーリッヒ・フロムの『悪について』を大きなテーマに沿って見直していくと、人間の闇を細かく切り分けるのではなく、いくつかの流れを軸にして理解できる。ここで出てくるエピソードは個人の心理だけでなく、社会の出来事にもつながっていく。
衰退と成長という二つのシンドローム
フロムの議論の中心は、人間の心を「衰退のシンドローム」と「成長のシンドローム」に分けて考える視点だ。衰退の側にあるのは死を愛する傾向(ネクロフィリア)、病的な自己愛(ナルシシズム)、そして母性的なものに過剰に依存する共生的なつながり。この三つが重なると、人は破壊すること自体に快楽を覚える。逆に成長の方向にあるのは、生きるものへの愛(バイオフィリア)、他者への共感、そして自立。こちらは創造や発展を支える。言ってしまえば、どちらを肥料にするかで、庭が青々しく育つのか、枯れ木ばかりになるのかが決まってしまう、そんな比喩に近い。
ネクロフィリアとバイオフィリアという対比
死への愛と生への愛、この二つはフロムが人間の性向を説明するうえで最もよく使った対立軸だ。ナチス・ドイツのアイヒマンのように、人間を「石炭」と同じように数え、輸送する事務手続きを楽しんでいた官僚の姿は、ネクロフィリアの典型例とされる。恐ろしいのは、彼が犠牲者を憎んでいたわけではなく、まるで書類処理の延長として人間を「物」として扱っていた点だ。これに対して生への愛は、未知への好奇心や冒険心を伴い、子どもの成長を喜んで見守る態度に近い。どちらの傾向も誰にでもあるが、どちらに重心を置くかで人生の色が決まっていく。
ナルシシズムの広がり
第4章で論じられていたナルシシズムは、自己愛がねじれて他人を道具としてみなすようになる話。フロムはこれを個人の歪みとしてだけでなく、国家や集団全体にも広がる「社会的ナルシシズム」として描いた。ナチズムの「アーリア民族至上主義」はわかりやすい例で、自分たちだけを特別視し、外の世界を劣等とみなす構造だ。現代的にいえば、企業経営者を神格化して異論を排除する企業文化や、ブランドへの異常な執着も、その延長にある。スマホを最新機種に買い替えていないと置いてけぼりにされる気がする感覚も、どこか同じ匂いが漂う。
近親的共生と依存の問題
母親との未分化な結びつきのまま大人になると、人は独立を恐れ、常に保護者を求め続ける。フロムが「近親的共生」と呼んだのは、まさにこの状態だ。家族だけでなく、国家や宗教イデオロギーでも同じことが起こる。ある種の集団に帰属していれば安心できるが、その代わりに自分としての判断を放棄してしまう。安全の毛布にくるまるのは心地よいが、外に出て歩けないまま大人になってしまうと厳しい、という警告に近い。
自由の重荷
フロムは「自由」を、解放と創造という二面で説明した。抑圧から解放されても、人は孤独と不安におびえて、結局は新たな権威にすがりたくなる。経済決定論、心理学的決定論、行動主義の刺激反応モデルといった考え方は、人間を受動的な対象にしてしまい、結局「自分では選べない」と信じさせてしまう。そして二者択一の思考、「賛成か反対か」「敵か味方か」というシンプルな構図も、実は自由を奪う仕組みの一つだとフロムは批判した。現代のSNSで繰り返される単純な対立構図も、その代表例に見える。
「悪」のありふれた姿
フロムが繰り返し強調するのは、悪は特別な人間にだけ現れるのではなく、誰の中にも潜んでいるということだ。不安や無力感に直面したとき、依存や服従を選ぶのか、あるいは矛盾を抱えながらも自分の力で判断するのか。人間らしさはこの分かれ道で試される。教育において大事なのは、死への愛を吸い込むのではなく、生への愛をそばにいる大人から「伝染」させることだと彼は述べる。愛やユーモアは意外と感染力が高いらしい。
現代への射程
フロムが60年前に描いた分析は、消費主義や権威への服従、孤立感に支配される現代社会にそのまま当てはまる。創造的に生きることが難しくなれば「せめて壊したい」という衝動が強くなり、ヘイトスピーチや誹謗中傷のように顔を出す。気づけば、悪とは普段の生活の延長にあり、遠い存在ではなくなる。
『悪について』は単なる哲学の抽象ではなく、日常の中で「人間らしく生きるとはどういうことか」を問いかけてくる本。フロムは、狼でも羊でもなく、自分で考える人間として立つことの大切さを説く。その姿勢は、自由の不安を抱えながらも、暗闇ではなく小さなランプの光に歩み寄る行為に似ている。
