書籍情報

著者:マイケル・E・マカロー
訳者:的場 知之
出版社:みすず書房
発行年:2022年12月16日
価格:4,950円
ジャンル:進化生物学/心理学/歴史/社会科学

 

本書の特徴

 

進化生物学と歴史の両面から利他行動を分析
人間の「利他の心」を、進化生物学の理論と人類一万年の歴史という二つの観点から掘り下げる。血縁関係や地域を超えた「赤の他人」への親切がなぜ可能になったのか、その理由を科学的・歴史的に考察する。

生物学的本能だけでなく理性や社会発展の重要性を強調
著者は、人間の利他性は単なる本能ではなく、社会的本能・論理的思考能力・テクノロジー・科学・貿易の発展によって獲得されたと主張。

「思いやりの黄金時代」を生きる現代人への警鐘
現代は人類史上最も寛大な時代だが、その理由や基盤を忘れれば、将来世代から「ただの金メッキだった」と評価されかねないと警告。
 

 

以下内容要約

 

思いやりの黄金時代という進化の皮肉

現代の驚くべき寛大さ

数字を見れば、現代がいかに異常な時代かがわかる。先進富裕国は国内総所得の21%を寄付し、政府とNGOは1000億ドルを援助として提供している。アメリカでは年間150人が赤の他人に腎臓をプレゼントし、ニューヨーク市民は積極的に献血に参加する。まるで人類が集団でお人好しウイルスに感染したかのような状況だ。

極度の貧困に暮らす人々の数は過去20年で約半分に減少し、自然災害による死者数も過去100年で半分以下になった。これらの改善には、無数の善意ある人々の利他的行動が貢献している。

ダーウィンが見抜いた人間の特殊性

チャールズ・ダーウィンは『人間の由来』で、人間を他の動物から決定的に分かつ能力として「他者を思いやる能力」を挙げた。彼は道徳的能力の獲得に4つの要素が必要だと考えた。社会的本能の存在、記憶の保持、知的能力の発達、そして習慣の形成である。

興味深いのは、ダーウィンが社会的本能が他の欲求に阻害されたときの不快感が良心の起源になると説明したことだ。つまり、私たちが「やましい気持ち」を感じるのは、進化の産物だというわけだ。

ドーキンスの「嬉しい誤作動」理論

リチャード・ドーキンスは『利己的遺伝子』で、この現象をより冷徹に分析した。進化は基本的に「利己的」なプロセスなのに、なぜ自己犠牲的な利他行動が存在するのか。彼の答えは皮肉に満ちている。利他行動は「嬉しい誤作動」だというのだ。

本来は血縁者を助けるために進化した行動が、現代では見知らぬ他人にまで拡張されている。これは遺伝子の「計算ミス」のようなものだが、結果的に社会全体にとって有益になっている。

現代利他主義の複雑な現実

現代の利他行動は進化的基盤を持ちながらも、その範囲が大幅に拡張されている。職場での支援行動や地域社会でのボランティア活動など、直接的な見返りを期待しない行動が広く見られる。

しかし、利他行動の動機は純粋な思いやりから社会的評価の獲得まで、様々な要因が組み合わさっている。善行にも「下心」があるかもしれないが、それでも結果的に誰かが助かるなら文句は言えない。

 

第2章 アダム・スミスの小指:共感と道徳感情の考察

シニカルなミスタースミスと人間の本性

アダム・スミスは18世紀の哲学者として、人間の本性を実に冷静に、そして時として容赦なく分析した人物である。『道徳感情論』で彼が提示した「小指の思想実験」は、人間の利己性について驚くほど率直に語っている。

 

「清という大帝国が地震で一瞬のうちに消えたとしよう。中国とは何の関係もないヨーロッパに住む1人の慈悲深い男が、この知らせを受け取るとどうするか。思うに彼は、不幸に見舞われた人々に深い哀悼の意を捧げるだろう。しかしその後は、落ち着き払って仕事に戻るだろう。これに対して、自分の身に起きたごく些細な災難は心底彼を困らせる。例えば明日、自分の小指を切られることになったら、今晩は眠れないだろう」

 

なんとも身も蓋もない話ではないか。でも、これは私たちの日常を振り返ってみれば、実に的確な観察だと認めざるを得ない。遠い国の災害のニュースを見て一瞬胸を痛めても、すぐに自分の小さな悩みに意識は戻ってしまうのが人間というものである。

共感の限界という現実

スミスは人間の共感能力に構造的な限界があることを冷徹に分析している。「想像による立場交換は、単に一瞬の出来事にすぎない」という彼の指摘は、現代のSNS時代にも通用する洞察である。

 

共感の限界は主に三つの要因で説明できる。まず距離の問題である。物理的にも心理的にも遠い相手への共感は弱くなる。次に持続性の問題。感情的な反応は一時的で、継続することが困難である。そして文化的差異の問題。異なる背景を持つ他者への理解には限界があるのである。

 

スミスは感情移入の困難さも具体的に分類している。「情感の調子があまりにも高すぎたり、あるいは低すぎたりすると、見物人はその情感に移入することができない」。つまり、他人の感情が極端すぎると、私たちはついていけなくなってしまうのである。まるで音楽の音量が大きすぎたり小さすぎたりするとかえって聞こえにくくなるようなものかもしれない。

道徳感情の謎と矛盾

ここでスミスが提示する最大の謎は、これほど利己的な人間がなぜ他者のために自己犠牲的な行動を取ることがあるのか、という問題である。「人間というものはこれほど利己的であるのに、自分の小指を守るために大勢の人の命を犠牲にすることはないのは何故か」

 

この矛盾は、人間の道徳システムにおける「フォーマットエラー」とも言える現象を示している。感情的共感は直接的で強烈だが距離や時間に制約される一方、認知的共感は理性的で普遍的だが感情的インパクトに欠けるのである。

 

スミスはこの謎に対して、「公平な観察者」という概念で答えを提示した。これは私たちの内面に存在する理想的な第三者の視点で、自己中心的な判断から離れて客観的な道徳判断を可能にする心理的機制である。要するに、私たちは心の中に「もう一人の自分」を飼っていて、その人が冷静に状況を判断してくれるのである。

現代への教訓

スミスの洞察は現代社会においてより重要性を増している。デジタル技術により遠隔地の出来事をリアルタイムで知ることができるようになった一方で、情報過多による「共感疲労」という新たな問題も生じている。

 

現代の利他行動研究にとってスミスの理論が与える示唆は明確である。感情的共感だけに頼らない利他行動の促進、個人の道徳感情を補完する社会制度の重要性、そして想像力と共感能力を育成する道徳教育の必要性である。

 

第3章 進化の重力:利他行動の進化メカニズムと理論的基盤

進化論は、生き残りと繁殖に有利な性質が自然選択によって広がる、というシンプルな原理で動いている。なのに、アリやハチのように自分では繁殖せず、女王の繁殖だけを手伝う「利他行動」が自然界に溢れているのは、どう考えても不思議だ。利他行動の進化は長らく進化論のパラドックスとされてきたが、実はいくつかの理論で見事に説明できる。

利他行動の進化パラドックス

普通に考えれば、自分の遺伝子を残すことだけが進化のゴールのはず。でも、アリやハチは自分では子供を作らず、女王の子供たちを育てるのに人生を捧げている。これはいったいどういうことなのか。

血縁淘汰(血縁選択)理論

この謎を解いたのがハミルトンの血縁選択説。自分の子供だけでなく、遺伝子を共有する親戚の子供も、自分と同じ遺伝子を残すことに貢献する。たとえば、兄弟姉妹は遺伝子の半分を共有しているから、自分が犠牲になってでも兄弟を助ければ、結果的に自分の遺伝子が増えることになる。これが「血縁度」という考え方だ。

 

ハミルトンの公式「rB > C」は、血縁度(r)と利益(B)、コスト(C)の関係を表している。この式が成り立つとき、利他行動を起こす遺伝子は集団内で増える。つまり、親戚を助けることで、自分が損をしても遺伝子全体としては得をする、というわけだ。

互恵性による協力の進化

血縁だけでは説明できないのが、見知らぬ者同士の協力だ。ここで登場するのが「互恵性」。つまり、「お互い様」の精神。ゲーム理論の囚人のジレンマで有名な「しっぺ返し戦略」は、相手が協力すれば自分も協力し、裏切れば自分も裏切る。この戦略が繰り返しゲームで強いのは、誰もが裏切りを警戒するから。

 

さらに「間接互恵性」というのもある。これは「情けは人の為ならず」の世界で、自分が他人に親切にすれば、評判が上がって将来誰かが自分に親切にしてくれるかもしれない、という期待だ。こうして、大規模な集団でも協力が成り立つ。

評判(Reputation)システムの重要性

評判は、人間社会の協力を支える大事な仕組みだ。誰かが「あの人は信頼できる」とか「裏切り者だ」とか噂するのは、この評判システムのおかげ。噂話は人間の会話の2/3を占めるという説もあるくらい、評判は人間の本能に根ざしている。

 

評判システムは誰かが命令したわけではなく、自然に生まれた自律分散型のシステムだ。評判を操作しようとする輩もいるが、そんなやつを忌み嫌う感情もまた進化してきた。小さな集団で培われたこのシステムが、大規模な社会でも協力を可能にしている。

ダーウィンの危険な思想

ダーウィンの進化論は、複雑な生命も単純な仕組みから生まれる、という「危険な思想」だ。ダニエル・デネットはこれを「スカイフック」と「クレーン」に例える。スカイフックは、どこにも支えのない突拍子もない発想だが、クレーンは下から積み上げていく。進化はクレーン方式で、無心で機械的なプロセスが複雑な社会行動さえも生み出す。

進化心理学とその批判

進化心理学は、人間の心が進化の過程で形作られたと考える。たとえば、特定のタスクに特化した認知モジュールがたくさんある、という「モジュール性仮説」が有名だ。しかし、脳はもっと柔軟で、経験や環境で変化する、という批判もある。結局、進化心理学の仮説は検証が難しく、論争が絶えない。

協力のコスト

協力には必ずコストが伴う。進化的安定戦略(ESS)によれば、協力と競争のバランスが大切だ。協力だけでも競争だけでも、集団は安定しない。シグナリング理論では、手間や資源をかけるほど、その協力が本物だと信じてもらえる。つまり、「高いコストを払う」ことが協力の信頼性を保証する。

 

第4章 すべては相対的だ - 利他行動の相対性と親切行動の状況依存性

利他行動って、なぜ人間は自分の利益を犠牲にしてまで他人を助けるのか、というミステリアスな現象だ。よく考えてみると、これは単純な自己犠牲じゃなくて、社会の中での複雑な相互関係の産物だったりする。

利他行動の相対性

利他行動とは、自分にはコストがかかるけど他人には利益がある行動。でも、この行動は絶対的なものじゃない。状況や関係性によってコロコロ変わる。たとえば、誰かに親切にしたら、その行為は巡り巡って別の誰かから返ってくるかもしれない。つまり、利他行動は社会の中での投資みたいなもの。

状況による親切行動の変化

人が親切になるかどうかは、周りの状況次第。たくさん人がいるところで誰かが倒れても、みんなが助けるわけじゃない。責任が分散してしまうからだ。ネットでも同じで、掲示板で助けを求められるより、個別メールで頼まれた方が「やってあげよう」という気持ちが強くなる。

利他的デザインの基礎

利他的UXデザインって言葉があるけど、要は人の利他心を引き出す仕組み作り。人間の脳は元々利他的にできているらしいから、ちょっとした工夫で助け合いの気持ちをもっと増やせるかもしれない。システムのちょっとした違いで、やる気が変わったりするのは面白い。

母の家庭料理

家庭料理は利他行動の代表例。無心に誰かのために作る料理は、まさに純粋な利他の形。食卓にたくさん並べることがいいことだという呪縛から解放されることも、利他の一つの形。土井善晴さんは「家庭料理には作為あるクリエーションが不要だ」と言っている。つまり、誰かのために無心に作ることが、一番の利他行動なんだ。

 

家庭料理には民藝的な美しさもある。民藝とは自然の摂理のうちにある美しさで、家庭料理もその一つ。自然と共存して生きていくことが、料理や民藝の本質だ。

手がかりは子宮にあり

子宮は母性と利他行動の生物学的な鍵。出産後のホルモン変化が赤ちゃんのお世話を促す。子宮のケアは将来の子育て準備とも言える。つまり、利他行動は身体の中にも根ざしている。

母親、きょうだい、その他の親族

兄弟姉妹がいる人は一人っ子より利他的になりやすい。乳児でも空腹なのに他人に果物を分けることがある。幼い頃からの環境が利他性を育てるのだ。家族や親族が絡むと、利他行動はぐっと増える。

家族へフォーカス

家族の利他行動は単なる利益共同体とは違う。親は子どものために自分を犠牲にするが、それは家族全体の幸せを考えた合理的な行動でもある。子どもの喜びは親の満足でもあるから、利他的に見える行動も、実は家族全体の利益を考えた合理的な行動かもしれない。

 

家族内での利他行動は、互酬(お返しの期待)と密接に関係している。「助けたら、いつか自分も助けてもらえる」という期待が利他行動を後押しする。

ハミルトンの法則と黄金律

血縁度と利益がコストを上回れば利他行動は進化する。働きバチの例が有名だ。自分と同じ遺伝子を持つ血縁者がたくさん子供を残せば、利他的な性質も子孫に受け継がれる。これがハミルトンの法則。

 

黄金律は「自分にしてもらいたくないことは人にするな」という普遍的な道徳の基礎。世界中の宗教や文化に共通する規範だ。利他主義は与える人の健康や幸福にも良い影響がある。

 

第5章 ミスター・スポックへ、愛を込めて

『スタートレック』のミスター・スポックは、バルカン人と地球人のハーフとして「感情を支配する論理」と「本能的な情熱」の狭間で揺れる存在だ。彼が「この作戦の成功率は4.3%」と冷徹に分析するとき、カーク船長は「必ず成功する」と熱く断言する。この対比は、人間の意思決定が数値分析と直感の綱引きで成り立っていることを示唆している。

真社会性生物の進化パラドックス

アリやハチの社会に見られる真社会性は、個体が繁殖を放棄して集団に奉仕するという進化論の逆説だ。働きアリが女王バチのために自己犠牲をいとわない姿は、ダーウィンの自然選択説を揺るがすように見える。

 

しかし現代の進化生物学では、この現象を「遺伝子の利己性」で説明する。血縁選択理論によれば、近縁個体を助ける行動は、結果的に自身の遺伝子を残す戦略となる。

マルチレベル選択という解決策

哲学者ソーバーと生物学者ウィルソンが提唱したマルチレベル選択説は、自然淘汰が遺伝子・個体・集団という複数の階層で同時に働くと考える。宗教の進化を例に取れば、個人の利己性を抑制する教義が、集団の生存確率を高める文化的適応として発達したと言える。これは「神への信仰がグループ間競争の武器になる」という皮肉なメカニズムだ。

ゲーム理論が暴く協力の本質

囚人のジレンマ実験が明らかにしたのは、人間の協力行動が計算ずくの戦略である事実だ。繰り返しゲームで効果を発揮する「おうむ返し戦略」は、相手の前回の行動をそのまま反映させるシンプルなルール。この戦略が機能する背景には、長期的関係における信頼構築の必要性がある。現代社会のビジネス交渉や国際政治も、実はこの原始的なゲームの延長線上にある。

 

進化心理学が提示する謎は深い。もし遺伝子が完全に利己的なら、なぜ人間は見返りを期待しない利他行為を行うのか? チンパンジーの研究が示唆するのは、ヒトの協力行動が「要求に応じた効率的な手助け」から発展した可能性だ。スポックが悩む理性と感情のバランスこそ、人類が編み出した最高の生存戦略なのかもしれない。

 

第6章「大いなる報酬」:利他行動がもたらす報酬やインセンティブについて

第6章「大いなる報酬」は、人間がなぜ見知らぬ他人にまで親切にするのか、その謎を進化生物学と行動経済学の両面から解き明かす。利他行動は、単に「いい人」だから生まれるわけではなく、そこには巧妙な報酬とインセンティブの仕組みが隠れている。

デジタル進化と利他行動の拡張

かつては顔を合わせて握手するのが親切の証だったが、今やSNSやオンライン寄付が利他行動の主戦場。スマホ片手に「いいね」を押すだけで、世界中の誰かを救える時代だ。デジタル空間では、評判システムやバーチャルな可視性が新たなインセンティブとなっている。誰が見ているかわからないのに、なぜか人は見られている気がして、より親切になる。これが「デジタル進化」の不思議な力学だ。

「球体度低めの牛」:不平等回避と利他性

行動経済学の世界には「不平等回避」という面白い概念がある。人は不平等な状況を嫌う。たとえば、同じ仕事なのに報酬が違うと、得をした方も損した方も気分が悪い。この不平等への嫌悪感が、利他的行動を引き起こす。羨望と憐れみ、この二つの感情が絡み合い、社会のバランスを保とうとする。自分だけ儲けるより、みんなで少しずつ分け合う方が、気分がいい。これが利他行動の根底にある心理だ。

「最近、わたしに何かしてくれた?」:互恵性の原理

親切の基本は「お返し」だ。直接的な「お返し」もあれば、間接的な「お返し」もある。たとえば、困っている人を助ければ、いつか自分が困ったときに誰かが助けてくれるかもしれない。この「お返し」への期待が、利他行動を支える。ハミルトンの法則や互恵的利他行動の理論によれば、血縁関係がなくても、長期的に見れば利他行動は損にならない。むしろ、協力し合った方が生き残りやすい。

「動くごちそう」:温情効果と報酬系

脳科学の研究によると、他人を助けたときに脳の報酬系が活性化する。眼窩前頭前野や線条体が喜びの信号を出す。これを「温情効果(warm glow effect)」と呼ぶ。つまり、親切にすると自分も嬉しくなる。お金を失っても寄付したくなるのは、この脳の仕組みがあるからだ。利他行動は、実は自分自身へのご褒美でもある。

「イメージ重視」:評判と社会的報酬

人は良い評判が欲しい。競争的利他主義という理論によれば、人は他者に見られていると親切になる。SNSで「いいね」がもらえるから親切にするわけではないが、良い評判を獲得することで将来的な協力が得られやすくなる。脳の報酬系が社会的報酬も処理している証拠だ。つまり、親切にすると脳が喜び、周りからも好かれ、いいことづくめ。

「石器時代のサマリア人?」:歴史的文脈での利他行動

昔は親切の対象は血縁者や近しい集団に限られていた。石器時代の人類は、身内だけを助けていた。しかし、農業革命以降、社会が大きくなるにつれて、見知らぬ他人にも親切を向けるようになった。「善きサマリア人」の例えは、民族や宗教の壁を越えた利他行動の重要性を示している。現代の国際的な人道支援は、まさにこの延長線上にある。

相恵性、評判、理性:利他行動の三つの柱

マカローは、利他行動を支える三つの柱として「相恵性(reciprocity)」「評判(reputation)」「理性(reason)」を挙げている。

 

相恵性(Reciprocity)

「お返し」の期待が長期的な協力関係を生む。血縁関係がなくても、互恵的利他行動は進化的に安定している。

 

評判(Reputation)

良い評判は間接的互恵性を促進する。短期的な損失を超えて、長期的な協力を得るための投資だ。

 

理性(Reason)

論理的思考により、小規模集団を超えた大規模社会での利他行動が可能になる。理性がなければ、グローバルな親切は生まれない。

現代社会への含意

現代は「思いやりの黄金時代」とも言える。デジタル技術の発展で、評判システムはより精密になり、互恵的関係は地球規模に拡大し、理性的判断はより多くの情報に基づいて行われる。利他行動の報酬は、物質的利益を超え、心理的満足感や社会的地位、人類全体の福祉への貢献という多層的な価値を持つ。この仕組みを理解すれば、より良い社会政策や組織運営が設計できる。

 

第7章「孤児の時代」:人類史における弱者保護の起源と農業社会の変容

人類は「七つの大いなる苦難」を乗り越えてきたが、そのなかでも「孤児の時代」は社会の本質に迫る問いとして浮かび上がる。第7章「孤児の時代」は、この「孤児」をキーワードに、弱者保護の起源と農業社会の変容を鮮やかに描き出す。

孤児の時代:弱者保護の起源

古代社会は、孤児や弱者をどのように扱ってきたか。意外にも、多くの文明で独自の保護システムが発達していた。古代ギリシアやローマ、ゲルマン法では、家父長が子を遺棄する権利を持つ一方で、困窮者や病人、孤児、障害者を守る仕組みも存在していた。たとえば、ローマ帝国では2世紀に「アリメンタ制度」という扶養基金が設けられ、貧しい子どもたちを救済していた。ただし、嫡出男子が優遇されるなど、社会階層の反映も見られる。

 

日本では、聖徳太子が設立した「四箇院」や奈良時代の「養老律令」によって、生活困窮者や傷病者、孤児や孤老を救済する制度が整えられた。近親者や地域の相互扶助が重視されていた点も興味深い。

農業社会の変容:無関心から抑圧へ

農業の発達は社会構造を大きく変えた。初期の農業社会では、家族単位の自給自足が中心で「思いやりの枯渇時代」とも呼ばれる状況が生まれた。互恵性や評判のメリットが小さく、親切心の発露はほとんど見られなかった。

 

やがて、社会は無関心から不平等へ、そして不平等から抑圧へと進む。農業社会が発展するにつれて,困窮者や孤児、障害者、犯罪者などの社会的逸脱者は社会から隔離・排除されるようになった。これは社会秩序を守るための防衛策でもあった。

 

しかし、農業社会の発達は一様ではない。多くの地域で「遊戯農業」と呼ばれる段階が長く続いた。これは農耕と狩猟・採集を組み合わせ、農耕に依存しすぎない生活スタイルだ。庭の耕作や焼畑、段々畑、半野生動物の飼育など、多様な技術が活用されていた。

 

一方で、農業社会の失敗例もある。中央ヨーロッパの「線帯文土器」文化の集落は、最初は平等だったが、やがて格差が生じ、戦争が始まり、共同体が消滅した。これは単一作物に依存した農業システムの脆弱性を示している。

思いやりという策略:利他行動の進化

マカローは、農業社会における「思いやり」が単なる善意ではなく、社会的な戦略だったと指摘する。互恵性と評判の維持は、農業コミュニティで重要な生存戦略だった。

 

しかし、互恵的報酬や評判だけで人間の思いやりが説明できるわけではない。理性、特に「同一性」の概念が他者への配慮を広げる大きな要因となった。つまり、特定の側面で同じであれば同じように扱うべきだという考え方が、見知らぬ人にも思いやりを向ける原動力になった。

現代への示唆:多様性と可能性

孤児や弱者保護の歴史は、明治時代の孤児院から現代の児童養護施設へと続く。これらの制度は、社会課題の発見から法制化まで一定のプロセスを経て発展してきた。現代の社会起業やソーシャルベンチャーの原型とも言えるだろう。

 

マカローの分析は、農業の発達が必ずしも不平等や抑圧をもたらすわけではなく、多様な社会形態が可能であることを示している。人類の利他行動は、生物学的進化だけでなく、歴史的・社会的条件によって大きく影響されてきた。思いやりや共感は理性があれば広がるという主張は、現代社会における社会的協力の可能性を暗示している。

第8章「思いやりの時代」

人類が初めて「思いやり」や「親切」を本格的に制度化したのは、紀元前800年から紀元前200年頃の「枢軸時代」だ。著者のマカロー教授は、この時代を「思いやりの黄金時代」と呼び、人間の利他性が単なる本能から社会的な理性へと進化した、人類史の一大転換点と位置づけている。

枢軸時代の寛大さの原因

なぜこの時代に思いやりや寛大さが急激に発達したのか。単に偉大な思想家が次々と現れたからだけでは説明しきれない。たしかに、ホメーロス、プラトン、イエス、ゾロアスター、ブッダ、孔子、老子といった大物が登場したが、それだけでは「なぜ今?」という疑問が残る。

 

この時代は、経済や政治が激変し、人々の生活が大きく揺さぶられた。社会的な絆が分断され、「自分は何者か」「どう生きるべきか」という実存的不安が蔓延した。そんな不安が、他人への思いやりや寛大さを求める原動力になった。

枢軸時代の最優先司令

この時代の「最優先司令」は、新しい道徳的規範の確立と、より平等で普遍的な思いやりの理由の発見だった。言い換えれば、「自分がされて嫌なことは他人にもするな」という黄金律が、人類共通の原理として広まった時代だ。枢軸時代の特徴として、いくつかの原則が根付いた。

 

道徳的処罰、つまり自然道徳に反する者には高次の権威が罰を与えること。共同体内で逸脱を監視・抑制する義務が生まれること。協力的行動が奨励・報酬されること。さらに、あらゆる罪と徳を見守る「空の目」のような全知の超自然的存在が登場し、道徳を社会的に担保する仕組みができた。こうした原則は、小規模な集団で進化した道徳直観を、より大規模な社会でも通用するように拡張した新しいメカニズムだった。人類は、血縁や知人だけでなく、赤の他人にも手を差し伸べるようになった。

推論からレトリックへ

この時代、道徳の伝え方にも大きな変化があった。単なる推論や理屈ではなく、レトリック(修辞学)を使って人々を説得する方法が発達した。正しい選択や決断をする「実践理性」が、思いやりや共感を広める上で重要な役割を果たした。思いやりや共感は、理性があればこそ広がる。感情的な反応から、論理的で体系的な道徳体系へと進化したのだ。

黄金時代のユダヤ教徒の慈善活動

枢軸時代の思いやりを語る上で、ユダヤ教徒の慈善活動は特に重要だ。ラビ・ヒレルの「自分が憎むことを他人にしてはならない」という黄金律は、現代にも通じる普遍的な道徳だ。古代ユダヤの「慈善(ツェダカー)」は、単なる施しではなく、社会正義の実践だった。ミシュナやタルムードでは、「義」は神の属性とされ、施しはその表明手段とされた。スペインのユダヤ人社会では、知識人や商人が組織的な慈善活動を展開し、公的福祉制度からの排除という逆境の中でも、独自の慈善システムを築き上げた。

小休止

枢軸時代の終わりには、「小休止」とも言えるまとめの時期が訪れる。この時代に確立された黄金律は、驚くほど使い勝手のよい思いやりの経験則となり、次の時代への橋渡しとなった。

 

枢軸時代が終わった後も、その思想的基盤の上に、より具体的な社会支援システムが構築されていく。ただし、極端な階級制や物質的不平等が根強く残る封建社会の再交渉が始まるのは、さらに2000年も先の話だ。

 

第9章 予防の時代:貧困や災害などの予防的対策が始まった時代

16世紀から17世紀にかけて、西欧社会は画期的な転換点を迎えた。それまでの「困った人がいたら助けましょう」という場当たり的な慈善活動から、「困る前に何とかしよう」という予防的アプローチへの大胆な発想の転換である。

 

まるで風邪をひいてから薬を飲むのではなく、うがい手洗いで予防する現代人のように、当時の改革者たちは社会問題の根本的解決を目指した。

天才的な先見性を持った男

フアン・ルイス・ビベス(1492-1540年)は、スペインで生まれながらも異端審問を恐れて故郷を離れ、ヨーロッパ各地を転々とした知識人である。友人のエラスムスのコネでイギリス宮廷に招かれ、後のメアリー1世の家庭教師まで務めたというから、なかなかの人物だ。

 

彼の最大の功績は1526年に発表した『貧民救済について』である。この本は、西欧世界で初めて都市の貧困問題を体系的に分析し、具体的な解決策を提示した革命的な著作だった。

分類マニアの合理的思考

ビベスは貧民を三つのカテゴリーに分類した。「働けるけど働かない怠け者」「失業中だけど働く気はある人」「病気や高齢で働けない人」という、現代の社会保障制度でも使われている基本的な区分である。

さらに彼は、盲人には籠作りや鳥かご作り、女性には羊毛の紡績といった、それぞれの能力に応じた職業訓練を提案した。障害者雇用の先覚者とも言える発想だ。

宗教改革が生んだ副産物

ヘンリー8世の宗教改革は、イギリス社会に予想外の副作用をもたらした。修道院を解散してしまったため、従来の教会による慈善活動が一気に消滅してしまったのである。これは現代で言えば、NPOをすべて解散させてしまったようなものだ。

エリザベス救貧法の画期性

1601年に制定されたエリザベス救貧法は、まさに歴史的傑作である。教区ごとに救貧税を徴収し、労働無能力者には生活援助を、働ける貧民には就労機会を提供するという、現代の社会保障制度の原型を確立した。この法律は400年にわたって継承され、現代まで影響を与え続けている。

ゴー・ダッチ

「Go Dutch」という表現は現在「割り勘をする」という意味で使われているが、実は17世紀の英蘭戦争時代の敵対感情に由来する皮肉な表現だった。オランダ人をケチだと揶揄する意味合いがあったのだが、皮肉にも当時のオランダの社会保障制度は世界最先端だった。

オランダ黄金時代の先進性

17世紀のオランダ共和国は、アムステルダムが世界最大の商業都市となる中で、包括的な社会保障制度を構築した。正規住民全体を救済対象とし、厳格な選別システムで「救済に値する貧民」を支援する制度は、財政的にも安定していた。

ルーズベルトの逆説

フランクリン・D・ルーズベルト大統領の「国家が強くあるために、残酷である必要はない」という言葉は、社会政策の本質を突いている。真の強さは残酷さではなく、思いやりと共感を通じて社会を強固にすることにあるという洞察だ。

自助と共助のバランス

16-17世紀の宗教改革は、労働を神聖な義務とする職業倫理を確立した。カルヴァンの予定説やサミュエル・スマイルズの自助論は、自立の重要性を説いたが、同時に社会的支援の必要性も認識していた。

 

現代的に解釈すれば、「親切は残酷だ」とは、過度の保護が自立能力を損なう可能性があることを警告する言葉である。真の親切とは、長期的な自立を促進するものでなければならない。

得られた教訓

歴史が教える重要な教訓は明確だ。第一に、予防的アプローチの重要性である。ビベスの公衆衛生政策やイギリスの教育制度改革、オランダの包括的社会保障は、すべて事後的救済より予防的対策を重視していた。

 

第二に、制度設計における財政的持続可能性の重要性である。どれほど美しい理想も、お金が続かなければ絵に描いた餅になってしまう。

 

第三に、自立支援の重視である。一時的な救済ではなく、自立への道筋を提供することこそが、真の社会保障制度の役割なのだ。

 

第10章 第一次貧困啓蒙時代:社会福祉の萌芽

「光あれ」- 貧困問題への意識の高まり

18世紀後半から19世紀初頭、貧困は神の意志や自然の摂理として受け入れられていた時代から、啓蒙思想の影響で「社会が解決すべき問題」として認識されるようになった。

 

この時代、貧困という言葉への言及が急増し、フランス革命やアメリカ独立革命の頃には「貧困啓蒙」とも呼べる現象が広がった。貧困問題は宗教的な慈善から、世俗的で科学的な社会政策へと転換した。まるで暗闇に一筋の光が差し込んだかのような、社会福祉の夜明けである。

第一のアイデア:分配的正義の概念

分配的正義の誕生

分配的正義という現代的な概念は、18世紀後半、特にフランス革命の最後の20年間に形を成した。国家がすべての国民に一定レベルの物質的手段を保障すべきだという思想は、当時としては革命的な発想だった。この考え方は、慈善ではなく正義によって、誰もが国家による財の分配に与る権利を持つという主張に発展した。

各国の思想家たちの貢献

フランス人の貢献

フランス革命期の共産主義者グラキュス・バブーフは、分配的正義の理念を明確に宣言した人物として名高い。彼は「一般的な幸福を分かち合う」ことを主張し、食糧倉庫の占拠や無料のパン配布など、実践的な貧困対策を提案した。バブーフの思想は、飢餓に苦しむ民衆を勇気づけ、貧困を個人の責任ではなく社会全体の問題として捉えた。

スコットランド人の貢献

アダム・スミスは、貧困層の福祉を政治経済学の中心に据えた最初の重要な思想家だ。彼は「社会が繁栄し幸福になるためには、その大部分の構成員が十分に食べ、衣服を着、住居を得ることが必要」と説いた。労働者の繁栄が国家成功の最良の指標だという彼の主張は、現代の経済政策にも通じる。デュガルド・スチュアートは、スミスの思想を継承しつつ、スコットランドの伝統的な社会習慣と結びつけて、短期的な緊急対策と長期的な構造改革の両方を視野に入れた救貧対策を構想した。

ドイツ人の貢献

イマヌエル・カントは、理性的存在者としての人間は目的自体であり、絶対的価値を持つと主張した。彼によれば、貧困救済は国家の存続のために必要な手段として正当化される。ヨハン・ゴットロープ・フィヒテは、国家による計画経済を通じてすべての人の生存権を保障する「分配的正義」の理論を展開した。

 

フィヒテの『封鎖商業国家』は、市場の偶然性ではなく正義の原則に従って、各人が快適に生活できる経済システムを提案した。ヨハン・ハインリヒ・ゴットロープ・フォン・ユスティは、プロイセンにおいて健康で働ける乞食には作業所での労働を義務付け、働けない貧困者には貧民院での保護を提供する包括的な貧困対策システムを構想した。

ピースをつなぎ合わせる:統合的な貧困理論

フランス革命期の急進的な平等主義、スコットランド啓蒙主義の経済学的アプローチ、ドイツ観念論の倫理的基礎付けが相互に影響し合い、現代的な社会福祉の概念基盤が築かれた。貧困問題に対する新しい理解の枠組みが、こうして生まれた。

第二のアイデア:科学的思考の導入

世俗的・科学的アプローチ

18世紀の啓蒙主義者たちは、貧困問題に対して宗教的な慈善に代わる世俗的で科学的なアプローチを導入した。この変化は、知識人よりも実務家が主導した。フランスではチュルゴーが1770年代に、プロイセンではユスティが1760年代に、貧困問題の根本的解決を目指した科学的な政策を実施した。

政治経済学の発展

重農主義者たちは、伝統的な施しが物乞いを助長するという批判を展開し、経済の自然秩序への回帰を通じて貧困層の長期的福祉を向上させる理論を構築した。これは、貧困問題を直接的に扱う最初の体系的な試みの一つとして重要な意味を持つ。

実証的調査の開始

フランス革命政府は、貧困問題の実態を把握するために乞食委員会を設立し、綿密な調査を実施した。これらの報告書は、後の歴史家にとって重要な史料となり、科学的な貧困研究の先駆けとなった。

戦争と「苦難の共有」というレトリック

戦争の修辞法は、困難な状況における社会的結束を生み出す強力な手段として機能してきた。見えない敵との戦いという構図を通じて、社会全体の協力を促進する効果がある。

 

アメリカの「貧困戦争」は、1960年代にケネディ大統領の下で準備され、ジョンソン大統領によって実施された包括的な貧困対策だ。この政策は、貧困地域の撲滅を戦争になぞらえ、あらゆる人的・物的資源を動員して貧困を根源から断ち切ろうとした。

 

戦争レトリックは,個人の困難を社会全体の共通の課題として再定義し、連帯意識を醸成する。この修辞法により、貧困問題は個人の失敗ではなく、社会全体で取り組むべき共通の敵として位置づけられる。現代の研究でも、このような戦争レトリックが政策形成に与える影響が注目されている。

社会福祉の萌芽への影響

第一次貧困啓蒙時代の思想的発展は、現代の社会福祉制度の基礎を形成した。分配的正義の概念、科学的な社会政策のアプローチ、社会連帯の修辞法は、19世紀以降の社会福祉発展の基盤となった。この時代の思想的遺産は、現代の貧困問題に対する理解と政策形成においても重要な役割を果たし続けている。

 

第11章 人道主義のビッグバン:人道主義が大きく発展した時期

神様から科学へ:災害観の大転換

19世紀まで、災害といえば「神の怒り」や「天の懲罰」として宗教的に解釈されるのが当たり前だった。日本でも災害は為政者の悪政に対する天罰として説明され、世界各地の洪水神話が示すように、人間の堕落が神の怒りを買うという考え方が支配的だった。

 

ところが、19世紀の科学革命がこの古い世界観を一変させた。フローレンス・ナイチンゲールがクリミア戦争で統計学を駆使して医療データを分析し、兵士の死因の多くが戦闘による負傷ではなく病院の不衛生による感染症だったことを科学的に証明した。これは「神のみぞ知る」から「データで分かる」への劇的な転換だった。

 

電信技術の発達により情報が瞬時に伝達されるようになると、災害は予防可能で対処可能な自然現象として理解されるようになった。つまり、災害は神様の気まぐれではなく、人間の知恵で対応できる問題になったのである。

赤十字の誕生:戦場に咲いた人道の花

1859年のソルフェリーノの戦いで、アンリ・デュナンが目撃した戦場の惨状は、まさに地獄絵図だった。しかし彼が「傷ついた兵士はもはや兵士ではない、人間である」として敵味方を問わない救護活動を展開したことが、現代の国際人道支援の出発点となった。

 

1863年に設立された5人委員会(後の赤十字国際委員会)は、国際的な救護団体を平時から組織化するという画期的なアイデアを提唱した。翌年のジュネーブ条約締結により、戦時の中立的救護活動に法的根拠が与えられ、現代の国際人道法の基礎が築かれた。

 

同時期に設立されたセーブ・ザ・チルドレンでは、エグランティン・ジェップが「私には11歳以下の敵はいない」として、戦争の敵味方を問わずヨーロッパの子どもたちに食料と薬を送った。子どもに国境はない、という当時としては革命的な発想だった。

技術革新が支えた人道ネットワーク

19世紀の人道主義発展において、電信技術と鉄道網の拡大は決定的な役割を果たした。1860年代にイギリスで開発された五針式電信機により迅速な情報伝達が可能になり、海底ケーブルの敷設で大陸間の瞬時通信が実現した。

 

これにより、遠隔地での災害や紛争の情報が瞬時に伝わるようになり、人道支援組織は世界各地の危機に迅速に対応できるようになった。技術革新なくして人道主義の国際的展開はありえなかったのである。

 

日本でも1891年の岡山博愛会や1897年の片山潜による「キングスレー館」設立により、西洋発祥のセツルメント運動が始まった。知識階級が貧困地区に住み込み、住民との人格的接触を通じて社会改良を推進するという、今思えばかなりユニークな取り組みだった。

アフリカという「最後のフロンティア」

19世紀後半の西洋人にとって、アフリカは「文明」とは対極にある世界だった。イギリスの原住民保護協会のような組織は、アフリカ人の結婚制度改革を通じて「文明」を普及させることを人道主義の目的と考えていた。今から見れば明らかに西洋中心的な価値観だが、同時に国境を越えた人道的関心の拡大を示していた。

 

20世紀後半になると日本もアフリカ支援に本格参入し、1993年の東京アフリカ開発会議(TICAD)プロセスでは「オーナーシップとパートナーシップ」という新たな援助理念が提唱された。上から目線の「文明化」から対等なパートナーシップへの転換は、人道主義の成熟を物語っている。

現代への遺産:拡大し続けるミッション

20世紀後半から21世紀にかけて、人道支援はさらなる拡大と専門化を遂げた。日本では1979年のカンボジア難民支援から本格的な国際緊急援助が始まり、1987年の国際緊急援助隊法制定により総合的な援助体制が確立された。

 

国連世界食糧計画(WFP)のような国際機関は、食料支援にとどまらず物流、通信、航空輸送まで手がける総合商社のような存在になった。現代では個人・企業・NGO・政府が対等なパートナーシップのもとに協働し、支援の「現地化」も重要テーマとなっている。

第12章 第二次貧困啓蒙時代

1960年代に始まった第二次貧困啓蒙時代は、貧困に対する社会の見方を根本的に変えた転換点だった。この時代の特徴は、貧困を「仕方がないもの」から「根絶できるし、根絶すべきもの」へと認識が変化したことにある。まるで人類が初めて貧困という病気の治療法を発見したかのような楽観的な雰囲気が社会を包んでいた。

理論革命の時代

この時期、経済学と哲学の世界で重要な理論的変化が起こった。アマルティア・センは貧困を単なる所得不足ではなく「望む生活を送る自由を持たないこと」として再定義し、ケイパビリティ概念を提唱した。一方、ジョン・ロールズは『正義論』で格差原理を示し、最も恵まれない人々の状況改善を正義の基準とした。これらの理論は、従来のベンサム流功利主義への挑戦状だったといえるだろう。

無関心ではいられない

この時代の画期的な変化は、社会全体が貧困問題に対して「無関心ではいられない」状況が生まれたことだ。アメリカでは公民権運動と相まって、ガルブレイスの『豊かな社会』やハリントンの『もう一つのアメリカ』が「見えない貧困」を社会に突きつけた。ハリントンが明らかにした、1億8千万人のうち4000万人から6000万人が貧困状態にあるという事実は、まさに豊かさの陰に隠れた不都合な真実だった。

動画の力とテレビ飢饉

テレビの普及は貧困問題の可視化に革命をもたらした。映像の力によって、遠い国の飢饉や身近な隠れ貧困が茶の間に届けられるようになった。南スーダンやソマリアの飢饉が定義される3つの指標、20%以上の世帯の極度食糧不足、5歳未満児30%以上の急性栄養不良、人口1万人あたり毎日2人以上の死亡という冷酷な数字も、テレビを通じて世界中の人々の心を動かした。

クールな支援への転換

感情的な慈善から科学的で効率的な「クールな支援」への転換も、この時代の特徴だった。ランダム化比較試験のような厳密な評価手法が導入され、支援の効果を数値で測定することが重視されるようになった。まるで慈善活動にも品質管理の概念が持ち込まれたかのようだ。

ブームの障害と援助疲れ

しかし、一時的な関心の高まりが持続的な取り組みに結びつかない「ブームの障害」や、継続的支援が困難になる「援助疲れ」という現象も明らかになった。日本の個人寄付総額1.2兆円はアメリカの30分の1で、その半分以上がふるさと納税という現実は、寄付文化の課題を如実に示している。人の善意にも賞味期限があるということか。

善行の効率化

企業のCSR活動やチャイルド・スポンサーシップのような戦略的慈善も登場した。1日150円で子どもと地域全体を支援するプログラムは、効率的な善行の典型例といえる。慈善活動にもコストパフォーマンスが求められる時代になったのだ。

 

13章 成果の時代:現代の慈善活動に潜む6つの怪物たち

現代の慈善活動は、かつての素朴な善意から「成果主義」という名の合理的怪物に支配されつつある。数字とデータが全てを決める時代において、6つの新種族が跋扈している。彼らの正体を暴いてみよう。

効率的利他主義者という計算機

効率的利他主義者は、慈善活動を投資ポートフォリオのように扱う人種だ。彼らにとって「1ドルで何人救えるか」が全てであり、感情は邪魔な雑音でしかない。

 

アフリカで1000件の失明手術ができる500万円を、日本で盲導犬1頭の育成に使うなんてもってのほか、という発想である。一見すると極めて合理的だが、この計算式には重大な欠陥がある。誰が「効果」を定義するのか、という根本的な問題だ。

 

結局のところ、欧米の富裕層や研究機関が設定した指標で世界を測定することになる1。まるで宇宙の外側から地球を眺めて「これが最適解だ」と指差しているような、神様気取りの傲慢さが漂う。

慈援資本主義者という投資家

ビル・ゲイツに代表される慈援資本主義者は、慈善事業にビジネスの論理を持ち込んだ一群だ。戦略立案、成果測定、リスク管理を駆使し、どこに投資すればどんなリターンが得られるかを冷静に計算する。

 

問題は、彼らが資本主義で巨万の富を築いた後に、その同じ論理で世界を「救済」しようとしていることだ。まるで放火魔が消防士になったような話である。従来の慈善活動が重視してきた受益者の意見など、彼らの眼中にはない。

貧困科学者という実験者

2019年にノーベル経済学賞を受賞したバナジーらは、貧困問題にランダム化比較試験を導入した「貧困科学者」の代表格だ。彼らは貧困を病気のように扱い、どの治療法が最も効果的かを実験で検証する。

 

確かに科学的手法は重要だが、人間の尊厳を数値化することの危うさは見過ごせない。貧困者を実験のモルモットのように扱うことに、倫理的な問題はないのだろうか。

効率化のエキスパートという合理化マシン

社会福祉の現場にデジタル技術を導入し、無駄を徹底的に排除する効率化のエキスパートたち。彼らは「Shared Measurement」などの概念を振りかざし、全てを標準化しようとする。

 

しかし、非営利組織の「非効率」に見える活動にも、人と人をつなぐ温かさという本質的価値がある4。効率化の名の下に、人間関係まで機械化してしまうのは本末転倒だろう。

バスローブ人道主義者という在宅戦士

フォン・ノイマンの逸話から生まれたこの概念は、現場に足を運ばず、自宅の快適な環境からデータ分析や政策提言で世界を救おうとする新人種を指す。バスローブ姿でコーヒーを飲みながら、貧困問題の解決策を机上で練り上げる。

 

効率的ではあるが、現場の泥臭い現実から完全に遊離している危険性は否めない。まさに「机上の空論」の現代版である。

単純な話という麻薬

複雑な社会問題を過度に単純化し、分かりやすいメッセージで支援者を魅了する「単純な話」。GiveDirectlyの現金給付プログラムがその典型で、「1ドル寄付すれば90セントが届く」という明快さが受けている。

 

しかし、社会問題の根本原因は往々にして複雑であり、表面的な解決策では持続的改善は望めない。分かりやすさという麻薬に溺れ、本質的な問題から目を逸らしてしまう危険性がある。

 

第14章 理性が導き出す思いやりの理由:利他行動の拡大メカニズム

理性が利他行動の拡大に果たした役割

人間というのは実に奇妙な生き物である。血のつながりもない見知らぬ人のために献血をし、遠く離れた国の災害被災者に寄付をする。こんな行動は、生物学的には説明がつかない。しかし、ピーター・シンガーが『拡大する輪』で鮮やかに論じたように、これこそが理性の力なのだ。

 

人類の利他行動は、単純な血縁選択や「今度はお返しするから」という互恵性を遥かに超えて拡大してきた。この拡大の原動力が理性である。理性を働かせることで、人間は利害中立的な視点を身につけ、道徳的配慮の対象を段階的に広げてきた。

 

理性による利他性の拡大プロセスは、集団内での利益配分問題から始まる。自分だけがいい思いをし続けていると、やがて仲間外れにされてしまう。そこで「なぜ自分が優遇されるべきなのか」を説明する必要が生まれた。理性的に考えると、「自分の利益は数ある利益の一つに過ぎず、他人の同様の利益より重要ではない」という結論に至る。これは恒久的で普遍的な原則として機能するようになった。

三つのRがものを言う:理性、互恵性、評判

利他行動の維持と拡大には、三つの「R」が絶妙に絡み合っている。まるで三本の綱で編まれたロープのようだ。

理性(Reason)の威力

理性は利他行動拡大の中核エンジンである。人間は直感に従う一方で、それを乗り越える理性的熟慮の能力を持つ。道徳問題を含めて物事を徹底的に考え抜き、時には直感に反する結論を導き出す。この能力こそが人間を人間たらしめ、互いに適切に振る舞える社会を実現する。

 

善き人になるには、他者への気遣いと理性的判断力の両方が必要だ。感情だけでは暴走し、理性だけでは冷酷になる。両者の絶妙なバランスが求められる。

互恵性(Reciprocity)のメカニズム

互恵性は利他行動を支える重要な仕組みだ。直接互恵性では「今度お返しします」が基本だが、間接互恵性はもっと巧妙である。他者への援助が評判を築き、全く知らない第三者からの援助を引き寄せる。

 

興味深いのは、互恵的利他主義が道徳感情の進化的基盤になっていることだ。同情は援助の動機となり、怒りは裏切り者への制裁機能を持つ。感謝は恩返しを促し、罪悪感は関係修復を促進する。まさに感情という名の精密機械である。

評判(Reputation)の魔力

評判は間接互恵性の切り札だ。互恵性で高評価の人は、初対面の相手からでも援助を受けやすい。面白いことに、利他的な人ほど自分の利他性を実際以上に宣伝する傾向がある。利他的な人の方が周囲から利他行動を受けやすいからだ。つまり、良い人アピールは合理的戦略なのである。

テクノロジー、科学、貿易がもたらすツール

現代の利他行動拡大は、技術進歩に大きく後押しされている。

 

ICTの発達は利他行動の新形態を生み出した。プラットフォーム技術の開放性は、一見利他的な行動が実は戦略的判断の場合もあることを示している。しかし技術普及により、より多くの人が利他行動に参加できるようになった。

 

科学は効果的利他主義の発展に貢献している。感情ではなく理性と数字を判断根拠とする考え方だ。ピンカーが「21世紀の偉大な新アイデアの一つ」と称賛するように、慈善活動を最も効果的な場所に向ける重要な役割を果たしている。

 

商業活動も歴史的に暴力減少に貢献してきた。他者を生かしておく方が殺すより価値がある状況を作り出すことで、利他的行動を促進している。まさに「商売繁盛、平和万歳」である。

他者への思いやりの未来

スティーブン・ピンカーらの研究によると、世界中で人々が他者の苦しみを受け入れなくなっている。動物虐待から家庭内暴力、死刑制度まで、あらゆる残酷さと暴力が減少し、同時に利他主義が増加している。

 

100年前、見知らぬ人への献血や骨髄提供が今日のように当たり前になるとは想像できなかった。将来的には、見知らぬ人への腎臓提供も現在の献血と同じくらい普通のことになるかもしれない。

 

社会が豊かになると、人々の注意は外部に向かい、見知らぬ人への利他主義が増加する。ボランティア活動から慈善寄付、利他的臓器提供まで、すべてが増加傾向にある。

 

思いやり(コンパッション)は未来社会の中核価値となる可能性が高い。単なる目標ではなく、合理性、創造性、精神性を統合する糸として機能する。人工知能の発展においても、コンパッション・ベースAIが重要な役割を果たすと期待されている。

まとめ

現代の人間は、歴史上もっとも他人に親切な時代を生きている。でも、この「思いやりの黄金時代」は決して当たり前じゃない。

人間の利他性は、単なる生物学的本能の産物ではない。血縁関係を超えて「赤の他人」にまで親切にできるのは、社会的本能、論理的思考能力、そしてテクノロジーや貿易の発展が組み合わさった結果だ。つまり、人間は自分で自分を「進化」させてきた動物なのである。

マカロー教授は、人類一万年の歴史を「七つの時代」に分けて分析する。孤児の時代から始まり、思いやりの時代、予防の時代を経て、現在の「成果の時代」に至るまで、人間の利他行動は段階的に拡大してきた。特に興味深いのは、理性(reason)の役割だ。感情だけでなく、論理的思考が利他行動を広げる鍵だったという指摘は目から鱗である。

ただし、著者は警告も忘れない。現代の寛大さは脆いシステムの上に成り立っている。もしその基盤を忘れてしまえば、将来世代から「あの時代の親切はただの金メッキだった」と評価されかねない。人間の本質は矛盾だらけで、利己的な面と利他的な面が同居している。だからこそ、理性と社会の仕組みを大切にしながら、この「思いやりの黄金時代」を維持していく必要がある。